――神の力を持った者立ちの対峙。あり得ない超常現象同士の戦い。
けれど、それを神の力を扱うのは、神ではない。
神の消えた世界で、常識を逸した力を使うのは、人間だ。
立っているのが辛い。燃費の悪い道具を使ったせいで、視界が霞み始めている。
周囲の炎は、先ほど降らせた雨の余韻を感じさせないほど燃え広がっている。それこそ、赤色の進行を多少食い止めている、といった程度だろうか。あの男も雨を降らせてから何度も『神の忘れ形見』を使っているのだから、炎の数は増えて当然なのだが。
それらの繰り出す熱波のせいで、辺りの水分が見る見るうちに蒸発し、周囲を靄のように包み込んでいく。視界は直に悪くなるだろう。
それでも、威嚇するかのように構えられた巨大な火の玉が、その所在を知らせていた。コールはそこに向かって少しずつ歩み寄りながら話しかける。
「その前に、あんたに訊きたいことがあるんだ。……それくらい、大丈夫だよね?」
そう言って、自信たっぷりに笑みを浮かべてやる。
本当は、こんな笑顔をぶち壊しにして、激情に任せてしまえばいいのだが……それは、自分が許さなかった。
辺りが煙の白色に染まり始めてきた。そのとき、男の苛立ったような声が聞こえた。
「おいおい、お前は何を考えてやがるんだ? 俺の前に出てきたなら、殺されるってわかってんだろ?」
「それはこっちの台詞だ。さっき言ったとおり、僕が書いた事象はもう止まらない。……だけど、そうなる前に、お前には訊きたいことがあった」
「うるせぇな」
声が聞こえた途端、男が構えていた火の玉が撃ち放たれた。高速で接近するそれを横に飛んでかわそうとしたが、足が思うように動かない。
「っ!」
何かが弾けるような音がした。それは、急速に水分が蒸発する音。自分のすぐ傍から聞こえた音だった。直後、彼の後方で熱風が吹き荒れた。
必至に動かした体だったが、迫り来る炎を全て避けきることは出来なかった。直撃こそ免れたものの、球が纏う炎の外枠に腕を飲み込まれ、腕や袖が含んでいた水分を一気に持って行かれる。
焼け付く痛みを食いしばり、キッと前方に目を向ける。
「それだけの力を持っていながら、なんでお前はそこに居る!」
「あ? 何を言っているんだ?」
「お前の力は人間が振るうには過ぎた力だ! それを、どうしてお前は、そんな腐った連中の中で使っている!」
焼け付いた腕と、そこに握られていた剣を無理矢理動かして、横に薙ぐ。
「この世界は平和に見えるけど、お前みたいなヤツが力を振るうから、ここの盗賊たちは動いたんだ! お前らが……バカみたいな貴族たちが居るから、苦しんでいる人だって居るんだぞ! なのに、どうしてお前はそっちに着いている!」
「……あぁ、そういうことか」
やっと合点がいったとばかりに、男は首を傾げた……と、思う。先ほど放たれた炎が、その軌道上に蒸気を満たしてしまったために、男の表情はよく見えなかった。
けれど、疲労と激痛の中であっても、あの男の声はよく聞こえた。なにより、相手の考えは嫌でも伝わってくるように、書き込んでしまっているのだ。
「俺も、あんなヤツらと一緒にいる義理はねぇよ。この国が作ったバカみてぇな規則のせいで、俺はどん底まで落ちていたわけだからな」
「……なんだと」
それでは、スノーと同じではないか。
この世界にある腐った部分に放り込まれ、最も黒い箇所を見せつけられた人間ではないか。
……それなのに。
「だったら、なんでそっちに居るんだ! それだけの力があって、どうして!」
「うるせぇよ! 俺はこの力があれば、あの場所に戻る必要もなくなっただけだ! それ以上に何がある? 俺にはこれしかねぇんだ! だったら、この力を使えるだけ使ってなんの問題がある!」
「そうじゃない! お前もこの盗賊団と同じ苦しみを持っていたなら、どうして国に反抗しなかった!」
「……だったら、お前はどうなんだ?」
その声に、コールはぴくりと手を止めてしまった。背筋が凍り付くような感覚を覚えた。
「お前だって、人外の力を持ってるじゃねぇか! 大きな力ってやつじゃねぇのか? それなのに、どうして盗賊団なんてちっさいとこで落ち着いてやがる? 答えてみろよ!」
「…………」
コールにとって、男の返答は予想外の反撃だった。下手に考えが伝わってきてしまうせいで、指摘された現実が直に心を抉っているように感じた。
そうだ。自分だって同じ力を持っている。人知を超越した力を持っている。
それなのに、自分は何をしているのだろう? 盗賊ですらなく、真っ白に見える世界をただただ歩んでいるだけではなかったか? これだけの力を持っていて、何ができた?
……自分が神の力を持っているのに、どうして人の力である盗賊たちの方が、世界に抗っていた?
僕は……何をしていた?
「答えられねぇのかよ? くだらねぇ……結局、お前も俺と同じだろ! 神の力なんていったって、お前だって何もしてねぇじゃねぇかよ!」
それどころか、コールはこの力を、本当に危険なときにしか使わない。ある種のトラウマのせいではあるが、目の前の男に言わせれば同じ事だ。力を持っていながら、国を相手にする行動さえできていない。
……ただ、その力を恐れて、この世界から逃げるように物語を綴ろうとしていた。それだけだった。
「……確かに、そうだな」
ぽつりと、呟く。けれどその声は、おそらく燃えさかる業火に喰われて聞こえないだろう。
けれど。コールは、再び煙の向こうの人影を捉えた。今度は、相手に聞き取れるような声を出す。
「神の力なんて言っても、使っているのは所詮人間だから……この世界を、変えるなんて発想にも至れない。だったら、いっそ神の居ない世界に、こんな道具なんて要らなかったと、僕は思うんだ」
「……何を言ってやがる?」
「『神の忘れ形見』は、僕にとっては必要なかった。だけど神はこれを残した。これは何かの必要があったから、残したはずだ。だからこそ、僕らはこの力を手にしている」
「当たり前だろ! だから俺はこの力を好き勝手に使っているんだからな!」
その声に合わせるように、コールは嘲笑を浮かべた。
「だったら、僕もやっぱり同じだ……僕も、この力は自分の好き勝手に使わせてもらう。……違いがあるとしたら、僕とお前は使用目的が違っていた。それだけだ。……だから、僕はお前を許すつもりはない」
――その言葉を口にしたとき、何かが悲鳴を上げるような音が聞こえてきた。
「もう、話し合いは終わりだ」
音は左右から木霊していた。見れば、男の左右には燃えさかる枝葉をそのままに、根本から悲鳴を上げて倒れかかってくる二本の樹木が見えた。
「なっ……」
男は怯んだように一歩下がるが、まるでそれを背負ってくるようにこちらに倒れ込んでくる。――それは、急速にこちらに迫り来る!
「くそ! 冗談じゃねぇよ!」
炎上した木の倒木。たったそれだけの出来事なのに、男は酷く胸の内が気持ち悪くなった。こんなあり得ないようなタイミングで、こんなことが起こるなど原因は一つしか無いではないか。
あのガキ、『神の忘れ形見』を使って、こんなくだらないことに使いやがった。倒木で男を押しつぶして殺す。まるで、神罰を下すかのように。
「んな死に方、やってられるか!」
叫ぶと、男の手にしていた黒い棒は、浮かび上がっていた幾何学模様は発光を強めた。
その直後、倒れてきた木の上部で燃えていた炎が、信じられない勢いで燃焼を始めた。それは燃焼などという言葉も生やさしいく思える、爆発に近いような状況であった。
体を吹き飛ばしそうになるほどの熱風が襲いかかり、視界は真っ赤に閉ざされていく。
「――っ」
やがて、爆発は手品でも使ったかのように消えてしまった。残ったのは、あまりの熱量に原型を失った木の残骸と、熱の余波だった。
視界は煙に覆われる中で、強大な力をつかったせいで足下がふらついた。炎を操る『神の業火』では、それから生じる煙まで操ることはできない。
彼は急に襲いかかる疲労感に耐えかね、一歩足を踏み出した。
――そのときだった。
自分の胸元に、冷たい感覚が突き刺さってきたのは。
「……あ?」
一瞬、何が起こったのか判断できなかった。だが、それが引き抜かれた途端、異様なまでに熱いものが体の中から噴き出して、急速に意識が反転したとき、何が起こったのか否応なしに理解した。
そして。
彼が地面に叩きつけられたとき、自分を見下す少年の姿が目に映って、彼は意味を成さない大声を上げていた。
……自分は、こんな情けない方法で、殺されようとしている。苦しくて、満たされなくて、怒り狂いそうだった。
コールは無言で彼の片腕を切り落とした。骨っぽい腕が血を噴き出しながら落ちて、黒い棒は意識を失ったように静かに眠っていた。
力を失った『神の忘れ形見』を、ついてきた腕ごとつかみ取ると、遠くに投げ捨てる。そのうち、彼が無差別に放った炎に飲み込まれて消えるだろう。
「――話を終えた直後、彼は炎を纏った倒木に視界を遮られる」
思い出すように、コールは告げる。それは、手にした『神の手帳』に書き込んだ事象、そのままだった。
「僕は、しつこいくらいに神の力を印象付けた。このノートに書き込んだから、お前は死ぬとね。だけど実は、お前にとって無視しても全く問題なかったんだ」
怒り狂ったようにコールを見上げる男に向けて、コールは手にした剣を彼の首元に突きつけた。
「僕の狙いは一つ。力を使わせて、疲労させたところを一気に襲うこと。お前は木が倒れて押し潰される、と感じたから木を排除するだろうと思った。案の定、お前はそう考えていたから、あっけないくらい予想通りに事が進んだよ。……だから、剣を扱うのが初心者な僕ですら、倒せる機会はあった」
そして、コールは小さく笑いかけると、剣を一気に振り上げた。
「神の力に殺されると思っていたお前が、剣を扱ったこともないような人間の力で倒されるって、どんな気持ち?」
神の力を過信し、力を持て余した狂った人間に向けて、コールは思いつく限りの屈辱的な言葉を贈った。
そして、スノーの敵である相手の感情は、聞いていて無様に思えるほど混乱しているのがわかった。うるさいくらいに喚いて、狂っていた。……ここまで来ると、むしろスノーに申し訳ないと思う程だった。
最早、起き上がることさえ困難となった男は、最後に激昂した咆哮を上げてこちらを睨み付けてきたが、既に神の力どころか人間としてもまともな行動ができない彼には、何一つ反撃する手段はない。
ただ、力のないはずの人間に、トドメを刺される。そんな光景を恨みがましく見つめることしか、彼には出来なかった。