『常識欠如の遊び人』一話の前編です。今回も『式神の花言葉』同様に前後編で分けていくことになると思います。
以下本編more
「うー……」
部屋のソファに横たわりながら、琴音はそんな唸り声を上げた。腰の辺りまで届きそうなほど長く伸ばしたボサボサな髪が、床にだらしなく垂れ下がっていた。
彼女の傍には、昨夜の帰宅時に偶然手に入れることとなった奇妙な羽がある。それを眺めながら、琴音はぼんやりと考え事をしていた。昨夜の出来事は一体なんだろう、この羽にはどんな関係があるのだろう、そんな具合だ。
居間を照らす朝日の光を受け、輝いて見える作り物のような羽。目に映す瞳はいつになく真剣な目つきになっていた。何も言わなければ綺麗と言われる顔もまた、彼女らしからぬ真面目そうな表情をしていた。
ただし、起床してさっさと着替えたはいいものの、だらしなく着こなした紺色の制服のまま寝転がる彼女の態度はいつも通りだった。女子の平均よりやや高い身長で、ちゃんとした姿勢さえ取ればそれなりの美少女に見えるのに、色々と台無しである。
「……だらだら考えるなんて、あたしにゃ似合わねぇや」
琴音は壁に掛けられた時計を一瞥し、それだけを呟いて上半身を起こし、思いっきり背伸びをした。ソファから転落していた鞄を手に取り、先ほどまで眺めていた羽を乱暴に突っ込む。
「あーあ、めんどくさ」
一度だけ嘆息してソファから腰を上げると、琴音はダラッとした姿勢で玄関の方を目指した。転がっていたせいでまた少し髪が乱れたが、身だしなみにまるで気を遣う様子もなく部屋を後にした。
またいつもの日常が始まる。その憂鬱と一緒に、鞄に入れた希望を手にしながら。
HR開始五分前。琴音はいつもこれくらいの時間に登校する。今日もまた、いつもと同じように気怠そうに廊下を歩きながら教室を目指していた。この時間帯に通学する生徒は多く、周りにも似たような顔をした生徒を何人も見かける。
彼女の通う祈抄高等学校の授業が全生徒をそれだけ陰鬱にさせるのか、というとそういうわけではない。ランク的にはせいぜい中の下くらいの、学力的にそう難しくないはずの高校である。琴音が単純に勉強嫌いなのだ。
何度も思っているのだが、どうして学校に通う必要があるんだろう? 大人はよく学校で勉強したことは、世間に出ても大して使い道がないと言う。そりゃ、専門的な道に入らなければ歴史なんて覚える必要性も無いし、科学者でもなければ怪しげな液体で金属を溶かす必要も無いだろう。それなのに、何が楽しくてこんなことを続けるのか教えてほしい。
……そんな現実逃避を心でぼやきながら、彼女は自分のクラスである二年C組に入っていき、教室の後ろの方にある自分の席に腰を下ろし、机に突っ伏した。
「あーあ……勉強、めんどくさ」
「その台詞を、毎日欠かさず口にする方がめんどくさそうよ」
「ふふん、慣れればどーってことないね」
「そんな口癖に慣れてたまるか」
呆れ顔でそんなことを言ってくるのは、隣の席で文庫本に目を落としている友人、河見沙遊だった。
琴音と比べれば大人しそうに見える顔つきに、肩の辺りで切りそろえたサラサラとした綺麗な髪。身長も平均的で制服も真面目に着ていたりと、琴音と比べれば奇抜な特徴など無い、真面目な生徒といった印象だ。
「まったく……毎朝その台詞を聞くけど、琴音は他に喋ることが無いわけ?」
「失礼な。あたしだって何も、毎日勉強がめんどくさいとしか言わないわけじゃないぞ」
「例えば?」
「勉強がだるい。勉強なんて滅んでしまえ。勉強なんて消えてしまえ。勉強なんてシステム考えた奴は地獄に落ちろ。ほら、だるい以外にもいってる」
「よし、あんたは学校に二度と来るな。琴音はここに居る必要ないわ」
琴音と沙遊の会話はいつもこんなもの。高二になり、クラス替えがあって一緒のクラスになってから仲良くなったが、いつの間にかこんな会話が二人で成立するようになっていた。琴音は決してクラスになじめていないわけではないが、彼女のぶっ飛んだ発言に言い返せるクラスメイトは沙遊くらいだ。
ところで、普段ならこのくらいで二人の会話はうやむやのうちに終わるのだが、今日は違った。琴音は顔を上げ、沙遊に向けて楽しげな笑みを浮かべた。
「ところが、今日は何が何でも来なきゃならない目的があるんだぜ? あたしが高校に来たのはそのためと言っても過言じゃない」
「……何かあったの?」
「それはもう。なんと言っても、とっておきの怪奇現象を見た翌日だからな。証拠もあるし、そのことで今日の部活は大盛り上がりの予定だ」
「…………楽しいのはいいけど、あんたみたいな類が増えるのは勘弁ね?」
琴音がテンションを上げたのに反比例して、沙遊は声のトーンを低くしていた。
琴音が無茶苦茶な発言をするのはいつものことだ。彼女はいつも、当たり前の日々より変わったことが無いかと探している。それは、琴音の記憶に残るある事件が切っ掛けなのだが……その話を信じている人間は、殆どいない。実のところ、沙遊も信じている様子は全く無かった。ただ、琴音の空想のような話を聞いて楽しんでいるだけだ。
「まぁ、何が起こるかは起こってからのお楽しみだ。世の中、なるようになるんだよ」
「はいはい。それじゃ、私も楽しみにさせてもらうわ。……ところで、今日のテストもなるようになるのよね?」
「……学校なんて滅んでしまえ」
「やっぱり予習してなかったのかあんたは」
勉強さえなければ、沙遊あたりと話をしているいつもの日々は、それなりに楽しいと琴音は思う。
だけど、変わらず楽しいと思えるいつもの日々と、自分が求めている物とは違うということを嫌と言うほど理解していた。
だからこうして動いている。探し求める異常を楽しみたいという一心で。
燦々と照りつける太陽と、気持ちの良いくらい晴れ渡る空を見上げながら、縁代涼は軽く伸びをした。空木高等学校の屋上で、たった一人でフェンスに背を預けながら、ぼんやりと青い景色を眺めている。
常に目を閉じているのではないかと思うような細い目に、短く刈りそろえたさっぱりした髪型が特徴の好青年、といったところだろうか。比較的背は高く、スポーツマンというほどがっしりした体格ではないが、弱々しい印象はまるで受けなかった。
涼は昼休憩になってからずっとこの調子だ。昨日はそれなりに忙しかったので、できればこのまま休んでいたいと思い、ぼんやりと陽の光を浴びている。
「ま、それはあいつ次第なんだけどな……」
溜め息を吐いて、涼は相方の帰りを待っていた。
昨夜の事態から三日間は、何かと忙しくなることが多い。だから、少しくらいは忙しくなるケースから外れてほしいと思う。
しかし、それが叶わぬ夢であることはとっくに理解している。フェンス越しに羽音が聞こえてきた時には、否応なしにその願いは叶わないのだと知った。
涼は振り返ることなく、戻ってきた相方に声を掛けた。
「状況は?」
その声を聞いていたとは思えないほどマイペースに、戻ってきた相方はフェンスの上をゆっくりと飛び越えてきた。
小さな相方は、説明するのも面倒くさそうに報告する。
「あの辺りに最低十枚ある。あとは調べてない」
「……サボリすぎると後に響くよ?」
「そうね」
「…………もう、カラナの職務怠慢にも慣れたよ」
予想通りの相方の対応に、涼はがっくりと項垂れた。彼の癖なのか諦めなのか、表情は薄く笑みを浮かべているように見えた。
カラナと呼ばれた彼女は、気怠そうに涼の肩に腰掛けた。背中から生えた4枚の羽をたたみ、両手を置いて「そりゃどうも」と返してきた。
十歳程度の幼い容姿をした少女は、大人の掌より少し大きいくらいの体長しかない。深緑色で背の辺りまで伸びるポニーテールに、蒼い瞳はやる気に欠けた目をしている。
彼女の外見の中でも、背中に生えた4枚の羽は何より印象的だ。背中に一対と腰の辺りに一対あるそれらは、昆虫の薄羽のような形状をしている。その内の一枚、腰の辺りにある羽は鏡に亀裂が走ったようにひび割れ、先端が欠損していた。
「それじゃ、学校が終わり次第、その十枚を片づけようかな。もちろん付き合ってもらうからね? やることは、いつもの通りにお願い」
カラナの言動に呆れているが、彼女は仕事をこなすのに必要な力を持っている。なので、このサボリ魔には無理矢理でも仕事をしてもらわなければ困るのだ。
もちろん、カラナの次の発言は分かっている。
「はぁ……もう、明日でいいわ。集める方の身にもなってよ」
「それはカラナが決めることじゃない。いいから、問題が起きる前にさっさと回収するんだよ。後は俺がなんとかするから」
「あー、いやだいやだ」
時々、この相方の存在意義がわからなくなる。こいつに頼る必要さえ無ければ、自分一人で勝手にやることを済ませることができるのだから。
でも、涼ではカラナの――妖精である彼女の特性を得ることはできないため、涼もカラナのやる気の無さは当たり前のものとして割り切っていた。
だからこそ、彼女から仕事に関する話題を持ち出してくることは、よほどの事態でなければ珍しいのだが……今日は、本当に珍しいことになったらしい。
「そういえば、涼。もう一つ問題があるみたい」
「へぇ。それは厄介な。……それで?」
「一枚だけ、羽があちこちに移動してるようね。たぶん、誰かが持ってる」
「…………おいおい。そりゃ、ホントに問題じゃないか?」
「大問題よ。下手したら手遅れになってるかも」
のうのうと語るカラナ。大問題と言った割には焦った様子はなかった。一方で、涼は降って湧いた問題にガクッと頭を下げていた。
「まったく……それもこれも、『次元鳥』さえ居なきゃこんなことにはならないのに……」
「ファイト」
「お前の責任でもあるんだよ? それと、一大事ってわかってるなら、報告が終わったらさっさと動いてくれ」
素直に動いてくれない怠け者妖精を無理矢理フェンスの向こうに追いやって、涼は嘆息しながら今後の動きを考えていた。
下校までに、出来る限り羽をカラナに回収してもらうしかない。何より、もうじきチャイムが鳴るこの状況で、これ以上うだうだやっている暇も無かったのだ。