朝の陽射しに包まれる、古い作りの校舎があった。
ルメリア彩景学校。小さな街の外れに建てられた、彩景魔術の専門学校である。
平原を切り開いてできた広い敷地の中、そびえ立つのは木造の校舎と学生寮、体育館や部活棟など。土地面積とは不釣り合いであまり大きくもない校舎は、お世辞にも綺麗とは言えない。
良く言えば自然に包まれた学校、それがルメリア彩景学校の印象だ。
そんな学校の、一年B組の教室。入学して二ヶ月しか経たない、まだまだ新しい制服を着込んだ十五歳前後の学生たちが集う部屋の中で。
ようやく生徒も集まり始め、雑談の声がそこら中で聞こえてきた頃。
「クウロ。宿題写させてくれないか?」
「なー、クウロ。宿題やってるよな? あたしによこせ」
「二人とも、宿題やる気はないの?」
「やってみたけどわからない」
「なはは。あたしがやるわけねーだろ」
クウロは机に座ったまま、二人のクラスメイトにたかられていた。クウロはいつものことと割り切って、暇を持て余すように手の中で石や葉を、点滅させるように描いては消しを繰り返していた。
無駄な行為を継続したまま、まずは宿題を全くやる気のない女子生徒へ視線を向ける。
「でもシャリスは珍しいね、普段なら宿題なんて話題にも出さないのに。書き写すにしたって、途中で面倒になって止めちゃうし」
「やっても投げるだろーしな。……だったらいつも通り燃やした方が楽か?」
「そうしたらこの間ついに叱られたから、面倒でも次は宿題をやってこよう……って、言ってたけどね」
そうだったか? 口に出してないのに、顔を見ただけでそう言っているように見えた。もしかしたらシャリスは、宿題をやらなくてはならないと覚えていても、動機を忘れていたのかもしれない。
獣のような少女だと思う。背は低く幼げな顔立ちだが、瞳は大きく好奇心に溢れ、笑みを浮かべれば八重歯が見え隠れする。膝元まで伸ばした髪は手入れが行き届かず酷くボサボサで、同じように制服も適当に着飾っていてだらしない印象だ。
彼女は今の会話を経て「面倒だから怒られればいっか」と開き直っていた。シャリスは嫌いなことや楽しくないことには興味がないのでわかりやすい。
なので、今度は男子生徒の方へ視線を向け。
「キョウはやればできると思うけど? 授業も割と真面目に受けてるんだし」
「それとこれとは別問題だ。……それに俺は、サイも苦手だから成績がまずい」
キョウは溜息交じりに答えた。
髪を短く切りそろえた、鋭い目つきの少年だ。背は言うほど高くないけれど、無駄な肉の無い引き締まった体躯をしている。老人のような髪で子供のような容姿のクウロとは真逆の、活発そうな印象がそこにあった。
片手でサイを作っては消しを繰り返し、クウロは机の中を漁りながら。
「貸すのはいいけど、提出は三限目だからそれまでに返して。シャリスも写していいよ」
プリントを手渡すと、キョウは口元を緩めて。
「悪いな、少し借りる」
「だるいからそれ、あたしの名前に書き直して出していーか?」
「いいけど、きっと筆跡でばれるよ」
シャリスが「ちぇっ」とわざとらしく言っていた。やっぱり彼女は宿題を出さないつもりらしい。
相変わらずの友人たちだと思う。クウロのような変人と、入学式当日に仲良くなってしまったくらいなのだから、変わり者であることに間違いはないのだが。
キョウはプリントを受け取ると、さっさと自分の席に戻り、ポケットの中からペンを取り出して書き写し始める。それを眺めていたシャリスが、ふと何かに気がついた様子で手を打った。
「そうだ、宿題なんて無かったことにしねーか? 妙案だろ?」
「宿題は祈ったって消えないと思うけど?」
「そんな奇跡起こすつもりはねーよ。ただ、クラス中の宿題かき集めて、全部燃やせばいいだけの話だ。それなら宿題は消えるぜ」
「先生が宿題を出したって記憶は消えてないけどね」
「あ、そっか。だったら先生を燃やすしかねーな!」
名案とばかりにグッと拳を握り、彼女は明るく笑い飛ばす。それが冗談なのか本気なのかは知らないが、シャリスの人差し指の先に、小さな火種が灯っていた。
止めた方がいい気がしたけれど、彼女が楽しそうなので悪乗りしてみる。
「でもそれ、焼いた後が大変だよ。証拠隠滅とか、授業の後任とか」
「なはは、あたしの火力を舐めるなよ? 骨も残さず焼いてやる自信があるぜ。あと、授業はクウロが持てば問題ねーだろ?」
「さらっと僕の負担を重くしてくれたね。代役くらいできるとは思うけど」
「なんだ、だったら嫌そうな顔するなよ。よし、そうと決まればすぐに行動――」
「できなくなったみたいだよ」
クウロの唐突な呼び止めに、シャリスはキョトンとした顔で見つめてきた。
指を指して示す。そこには、がらがらと扉を開けてやってくる人影があった。
直後、校舎中に鐘の音が響き渡る。それは、これからホームルームが始まることを学校中に知らせるためのものだった。
シャリスの指先にあった火が消えて、見る間に熱が冷めていく。クウロは肩を竦めて。
「もうちょっと早く思い立ったら動けたかもね」
「くそっ……こうなったら強行してやろーか」
「いいから席に座りなよ。じゃないとナリア先生、また泣くよ」
宥めてやると、シャリスは渋々といった様子で自分の席に戻っていく。他の生徒たちも雑談を止め各々の席について、教壇に立った、緩いウエーブの髪の女性に目をやった。
このクラスの担任教師、ナリア先生だ。心配したくなりそうなほど細身で、よく言えば大人しそう、悪く言えば頼りない感じの教師だった。今年新任したばかりで歳も若く、優しく弱気な性格も相まって、生徒から恐れられることなど何一つない先生だ。
「みなさん、おはようございます」
二ヶ月前よりも随分と余裕がある声音と笑顔で彼女は言った。入学式当日は、酷く緊張していて生徒の大半から心配されていた程だ。
そんな先生なのだが、挨拶の後で言葉を失ったようにぱくぱくと口を開け、酸欠で苦しむ金魚のように声を出そうともがいていた。
……こういうときは決まって慣れないことや重大な発表をするときだ。生徒たちは興味と同情と苦笑で見守る。
「今日は、えぇと……二ヶ月遅れですが、入学された生徒がいらっしゃって、彼女がこのクラスに来ることとなりましたので……」
たっぷり時間を置いた割に、言いたいことが纏まっていない様子だった。
それでも、入学した生徒と彼女という単語で生徒が一気にどよめく。
なんで二ヶ月遅れなんですか? どんな子ですか? どこに住んでたの? その子ってかわいい? そいつだけ今日の宿題無いのって不公平じゃねーの?
そんな言葉があちこちで飛び交う。生徒間の会話はやがて反響するように大きくなっていき、次第に熱を帯び始めていく。
……ある程度予想はできていたのだろうが、それでも先生は狼狽えていた。
「あ、あの……ちょっと静かにしてもらえませんか?」
ナリア先生の声に、教師としての威厳も、ましてや年上としての力も無く。二度三度と同じように繰り返すが、先生はあまりにも無力だった。
助け船を出さないと話が進まないかな、と。放っておくとどこまでもエスカレートしそうなクラスメイトたちを、教室の後ろの方から眺めながら、クウロは結論づけた。
とりあえず教室全体に蔓でも這わせれば止まるだろう。今見えるクラスの光景が、樹皮の色で覆われる絵を想像し、手を右から左に動かそうとして――同じタイミングで、先生の方が音を上げた。
「みんな静かにしてぇっ!」
涙声の悲鳴だった。教師らしいという理由から丁寧な言葉をを使っているようだが、こういうときの先生は素が出てしまうことが多かった。
生徒たちの声が止まる。ナリア先生は潤んだ瞳のまま「こほん」と咳払いして気を落ち着かせ、視線を扉に向けた。
「と、とにかく! いつまでも待たせるわけにもいかないし、入ってきてもらうわ。……こほん。……シラーさん、入ってきてください」
一度声を上げて吹っ切れたのか、咳払いをした後の先生は、落ち着きを取り戻した様子で扉の向こうに声を掛けていた。
扉が静かに開かれる。周囲を窺うように教室中に視線を彷徨わせ……彼女の目が、クウロを捉えた。
新品の制服に身を包んだ少女は、未開の地に足を踏み入れる不安感を吹き飛ばして、何かを言いたげに口を開いたので。
「おはよう、シラー」
笑顔で返してやった。すると、好奇の目でシラーを見ていたクラスメイトたちが、一斉にこちらへと振り返って、様々な感情をぶつけてくる。単純な疑問や、漠然とした納得や、意味のわからない嫉妬といったところだろうか。
対してシラーは、完全に動揺する先生を尻目に、クウロに視線を向けたまま。
「……ねぇ、クウロ? 私、この状況が全く把握できてないんだけど……」
「昨日の夕方に試験やってもらって合格して、今日から入学ってことでしょ? ここにいるのはなんの問題もないはずだよ」
「そういうことじゃない! いや、たしかにそれもおかしいと思ってたけど! そうじゃなくて……はぁ。もう、わけわかんなくて頭が痛くなるよ」
「大丈夫? 保健室なら一階にあるけど、案内しようか?」
「……そんな気遣いは今いらない」
なぜか落胆した様子でがっくりと肩を落とす新入生から、扉を潜ったときの緊張感などは完全に消え失せていた。
シラーとクウロのやり取りを聞き取って、ナリア先生は「えーっと」と困惑した様子で。
「クウロくん? シラーさんとは知り合い?」
「はい。僕が昨日連れてきました」
「あー……今、なんとなく合点がいきました」
どっと疲れたように目元を抑えながら先生は言う。なぜかクラスの大半も、納得したといった反応を見せていた。
もしかしたら、クウロが連れてきたから、この妙な時期に新入生が来たという謎が解けたのだろうか? 変わり者が妙なタイミングで、滅多にないイベントを起こした。先生やクラスメイトたちはそういった解釈なのだろう。
しかし、そんな人間が持ち込んできた問題だったからだろうか。ナリア先生は「そうね」と一人で納得した様子で頷いて。
「シラーさんの席はクウロくんの隣でいいですか? もちろん、仲が悪いようなら他の場所でもいいですよ」
問われて、シラーは一瞬驚き困ったような顔をしていた。
「あ、その……席はどこでもいいんですけど……それに、クウロに悪い気が……」
「僕は構わないよ」
「……だったら、隣で」
クウロが頷き二人の意見が一致したのを受けて、先生はホッとした表情を見せた。
ただ、それとは別件で腑に落ちないといった表情を浮かべたまま、シラーはもう一度こちらに目をやっていた。
なんとなく、不安や戸惑い、諦観といった感情を纏めてぶつけられている気がした。
教卓の上に掲げられた時計は十二時を過ぎ、昼休憩となった時間。教室に残った生徒は半数ほどとなっていた。
この学校で昼食を取る方法は、購買へ行くか街で食べてくる、または寮に戻って調理するなどである。教室に残っている生徒は、大半が購買から戻ってきたか、あらかじめ弁当を作ってきていた。
そんな生徒ばかりいる教室の、クウロの隣の席で、シラーはぐったりと机に身体を預けていた。色んなことに疲れ果てて、起き上がる力さえ抜かれてしまったかのようだった。
無理もないだろう。いくらクウロが連れてきたからといっても、彼女に対する好奇の目が薄れることなどなかったのだから。
ホームルームが終わり、机が運ばれた後から、シラーはクラスメイトからの質問攻めに遭っていた。どこからきた、どうして今になって入学したか、好きな物はなにか、クウロとはどんな関係か。そんな彼女に深く踏みいることや些細なことを混在させた、言葉の雪崩れに彼女は巻き込まれていた。
シラーはどうやらこういったことに不慣れなようで、まともに返せたのは些細なことくらいだっただろうか。クウロとも知り合いということでこちらにも質問が飛んできたので、彼女に関して知っていることならある程度フォローもした。
それでも、慣れない場が彼女を必要以上に追い込んでしまったらしい。
「大丈夫?」
クウロは訊ねるが、彼女は机に突っ伏したままの体勢で答える。
「……クウロ。学校って、こんなに疲れるんだね……」
シラーは力なく声を発した。心なしか涙声だった。
「転校生って、今みたいな扱いを受けるものなんだろうね。僕も初めて知ったよ」
「……なんだか私、早々に学校に抱いてた夢を砕かれた気分」
「安心して。きっと今日みたいなことは明日には起こらないから」
実際、休憩を挟む毎にシラーの所にやてくる人数は減り、昼休みに入ってからはやってこなかった。なんとなく、本人が疲れ切っているので距離を置いているだけな気もする。
さすがにシラーが動じなさすぎるので、クウロは軽く疑問を投げかけてみる。
「僕も学校ってここが初めてだけどさ……シラーは、どうして学校に来たかったの? どうしてサイを習う学校へ?」
「何も知らない私を、ここに連れてきたのは君だよね?」
「なら、試験を受けなかったら良かった。それでもきちんと受けて合格して、なんだかんだ言ってもここにいるのは、やっぱり学校に来たかったからでしょ?」
「……っ!」
矛盾を並べてみたら、彼女は驚いたように顔を上げた。まるで自分でもその事実に気付いていなかったかのような反応だ。
学校に通う義務はない。少なくとも、クウロは子供の頃通ったことがなかった。
村には学舎があり最低限の学習を受け、街では金持ちや将来の夢を持つ子供が学校へ通うらしい。学校に通わない子供は親から教わるか、最初から習わない場合も多い。
当然それは彩景学校でも同じだ。将来的にサイを使えるようになるための学校で、それを学ぶために少年少女が集う。
当然、サイを習うつもりの無い子供は、この学校に入らない。
「まったく……クウロって、鋭いのかとぼけてるんか、よくわからないよね」
「うーん……どちらかというと、感覚がずれてるだけじゃないかな? 変わり者だもん」
「それって自分で言うことかな?」
面白そうに、彼女は笑っていた。ようやくシラーが笑顔を取り戻したような気がする。
それから彼女は、どこか困った素振りで苦笑して。
「学校には来てみたかったんだ。なんとなく、楽しそうだったから。……だから、ちょっと困ったことに、私って何かを目指して学校に来たかったわけじゃないの」
――ここまで大変とは思ってなかったけどね。相変わらずの苦笑いでも、シラーの表情からは気力が戻ってきているように見えた。
「クウロってやっぱり変だよ。今日はずっと質問攻めで、頭が回らないくらいくたくただったのに、なんですんなり話せちゃうんだろね?」
「友達だったら、そんな感じなんじゃないのかな?」
「……あれ? 私たち、いつの間にそんな関係になってたの?」
「クラスメイトからシラーのこと聞かれたとき。家出とか話すとややこしくなりそうだったから、前から友達だったって言っておいたよ」
「へぇ……って、えっ!? いつの間にそんな話になったの!? そんな話、私知らない!」
シラーは大慌てだった。
「……いや、まぁ、ありがたいけどね。私のこと知ってるのクウロだけだし、私だって家のことを誰にも話してないから。……そっか。私のこと聞きに来る人が減ったのは、君のおかげだったのか……でも、あとでどういう説明したか、教えてね」
「わかってる。そうじゃないと矛盾が出そうだもん」
「それはまぁ、そうだけど……それもなんだけど……」
なぜかシラーは歯切れ悪そうに口ごもる。何事かと首を傾げると、彼女は嘆息混じりに。
「私って、友達なんて、今までいなかったから」
誰にも聞こえないように、クラスに満ちた雑談に消えてしまいそうなささやかな声で、彼女は零した。
「だから、どんな関係だったかとか、どう遊んでたかとか、そういうの全然想像できないから……教えてもらわないと、困る」
二人の会話を、きっとクラスメイトはだれも聞いていないだろう。そう思えるほど二人を包む空気は静かで、周囲とは解け合うことのない世界ができつつあった。
クウロは、少し返答に悩んでしまった。
「そう言われても、僕も困るよ。僕だって学校に来るまで、友達って二人しかいなかったから。……一人は小さい頃いなくなっちゃったし、あとはラタだから。結局の所、僕だって友達ってよくわかってないのかも」
困ったような微笑みで言った。シラーは驚き戸惑って、どう答えていいのかわからないといった素振りを見せた。
彼女から次の言葉が出てこないので、「でもさ」と続けて。
「たしかに前から友達とは言ってたけど、シラーとは家の都合でしばらく会ってなくて、久しぶりに会ったときにこの学校を勧めた、ってことにしておいたんだけど」
「あ、そうなの……って、う、うん? それって……」
「だから別に、昔何してたかとか考える必要、ないと思うよ」
「……そ、そういうことは早く言ってよ! 心配して損したよ!」
「あ、そっか。ごめん、僕と友達がそんなに嫌だった?」
「今の話の流れでどうしてそうなるのかなぁもう!」
思いっきり叱られてしまった。二人の周りを包んでいた空気が吹き飛ばされて、再び周囲の視線が自分たちに突き刺さった。
そんな自分たちの元に、二つの足音が近寄ってくる。
「お前ら、楽しんでるのはいいけど、昼飯はあるのか?」
「三日くらい飲まず食わず眠らずでも死にはしないと思うよ?」
「俺らをお前と一緒にするな」
顔を向けると、呆れつつも慣れてしまったような表情の男子がいた。その横で、手を軽く挙げて「よっ」と手を振る女子もいる。
キョウとシャリスの二人だ。そういえば授業が終わるなり、二人はさっさと購買へ向かっていったようだ。その証拠に、手には昼食と思われるパンが幾つかあった。
キョウは紙で包装されたパンをクウロの机に全て置いた。
「欲しいパンがあれば取れ。もちろん、食ったら金を払えよ」
「ねぇキョウ。結局、朝渡した宿題って間に合った?」
直後、彼の肩がビクッと震えたのが見えた。彼は引きつった笑みで。
「……パン一つで手を打たないか?」
「なはは。あたしみたいに出さなかったら良かったのになー」
笑っているシャリスの横で、「叱られるよりマシだ」とキョウが反論。二人のやり取りを尻目に、クウロは適当にパンを一つ取り、シラーに手渡した。
虚を突かれた表情の彼女に、クウロは「えーと」と不思議そうに訊ねる。
「昼は何もいらないの? たぶん食べるもの、何も持ってないよね?」
「あ、うん……。そういえば、そうだった」
だけど……と、シラーは首を横に振って。
「それってクウロが貰ったものでしょ? 私の分は、明日からなんとかなるかもしれないし、今日はいいよ」
学校の制度はあまり知らないが、食費が無い生徒には学校側から何らかの配給があるらしい。学費も持っていなかった彼女なので、その辺は事前に聞いていたのだろうか。
ただし、シラーの入学は昨日の今日だ。配給がすぐ適用とはならなかったらしい。
クウロはそれを聞いても、大して気にした様子もなく。
「僕は別にいらないから。もしも欲しかったら自分で描くし」
「……は?」
異国の言葉でも聞いたように訊ね返されたので、クウロは適当に掌の上にイメージを浮かべ、描き出す。
手の中に現れたのは、作り物のように均一な着色の、目に痛いピンク色の実だった。
途端、キョウとシャリスの顔が一気に引きつった。シャリスに至っては嫌悪の眼差しだ。
「これ、僕は『重糖の実』って呼んでる。ただ単に甘い実ってところかな? こういうの食べておけばお腹は空かないし」
「ね、ねぇ、クウロ? サイで作った食べ物って、食べても大丈夫なの?」
「うん。森の実はちゃんと食べた効果が出るよ。例えば、『不死者の実』を食べれば、痛みごと空腹も消えちゃうから、それで代用するのも良いね。……まぁ、サイの維持を放棄したら、効果がなくなっちゃうんだけど」
「つまりそれって、サイを解いた途端にお腹が空くってことなんじゃ……」
シラーがどう答えていいのかわからないといった表情をしていた。何かを言いたいのだけれど、どう表現すればいいのかわからない、そんな様子だった。
そこに割り込んでくる笑い声が一つ。あまりしゃべろうとしないから意外だったが、彼は押し殺すように笑っていた。
「こいつはいつもこうだから、気にしない方がいい。それでも気になるなら、俺がやったと思って取っておけばいい」
「え、あ、その……ありがとう……キョウくん、だよね?」
「あぁ。……ただ、そのありがとうは、俺にじゃないだろ」
言って、キョウはクウロを指さして言った。シラーは慌ててこちらに礼を言う。
「それと、俺とシャリスのこと、さんとかくんとか付けなくていい。他人行儀みたいで嫌いだ」
キョウが指さした先で、シャリスはいつの間にか一人パンを囓っていた。急に話を振られて「んあ?」と疑問符を浮かべ、しばし考えた後で合点がいったように頷く。
「そーいやあたし、クラスメイトは呼び捨て以外で呼んだことも呼ばれたこともねーな」
明るく笑い飛ばしながらシャリスは言う。
彼女はパンを半分くらい食べ終えた辺りで、思い出したかのように片手を握り、親指と人差し指だけを広げ、指先をパンに向けた。
親指を弾くように振る。すると、指先に小さな灯火が生まれた。マッチを燃やした程度の火に炙られて、パンは徐々に食欲をくすぐる香りを放ち始める。
「だから、あんたも呼び方とか変なことで悩むなよー。……えーと、誰だっけ?」
「……シラーさんだ。人の話、聞いてたか?」
「なはは。あたしはさっきまで食うことしか考えてなかったし、朝は面白そうなことになってるなーとは思ったけど、名前は全然聞いてなかった」
なんともシャリスらしい発言だった。彼女は興味がないことにはとことん目を向けない。
彼女にとって、今興味があるのは焼いている最中のパンらしく、弱火でじわじわと焦がされていく様子をジッと眺めていた。