人間が作った言葉の一つに『再戦』なんてものがある。敗北した相手にもう一度、戦うこと。それに勝つことが物語上ではセオリーであって、手法として、かなりの頻度で使われる。それこそ、現実世界であれ、ゲームの中であれ。
一般的に、そういうのは強くなった証拠だとか、熱い展開になるからとか、そういう点で使用されるものだろう。僕はそんなこと知ったこっちゃ無いが、どうも世間的には『負けたままで終わらせない』みたいな考えの奴が多いらしく。
ただ、冷め切った人間だと……そう、僕、石城流みたいなやつだと、敗北の事実を受け止めてそれで終了にしてしまおうとする。あんまり、そういった点での執着というのは僕の中に無かった。プライドとか、そんなものあるのかさえ疑問である。
でも、普通の人の場合。それこそ、隣に居る沙李なんてそのいい例で、どうにもならなかったことに悔しさを抱いていたりするらしい。リベンジしたいと言う考えが、彼女の中には確かにあるらしい。
さて、それを踏まえたうえで、僕は今現在、どういう状況に置かれているのかを簡潔に説明しようと思う。
…………僕と沙李の目の前では、『白骨化した』大型犬が僕らを睨みつけていた。
……まず、どういう経緯を得てこうなったのか、そこから説明するなら……なんということはない。陽鞠に追い出されるように学校を出て、この前スライムと遭遇したバス停で蒼也と別れて(昨日のことを考慮して、バスが来るまで三人で待つことになった)。それから……僕と沙李は、いつものように、帰宅しようとしていた。
この辺は学校の周辺よりも少しだけ閑静としており、家も若干まばらに立っている。所々に小さく畑なんてある辺り、いっそ『田舎』の光景である。……本当の田舎ならもっと軒並みが無いので、『都会と田舎の中間』のさらに中間、といったところだろう。
そこまで来ると、もうじき帰宅なのだが……そんなとき、アレが現れた。いきなり、目の前に現れてきたんだ。不意を突かれた、という奴。
昨日のスライム同様、いや、それ以上に現実味の無い存在。明らかな『死』を迎えた姿のそれは、平然と立ち上がっていて……それが、「標本です」というのなら、まだよかった。救いがあったから。
だけど、あの『骨の犬』は動いていて……あろうことか、僕らを、睨みつけていた。さらに、その真っ白の骨格にあるまじき赤い双眸が……本来、瞳のあるべき空洞の底に、確かに赤い瞳が、浮かんでいた。
そして……今度はちゃんと、それに気がついた。だからこそ、あれが『魔物』であるという確信を得られた。得たくなんてなかったが。
「……みんな、あれに気付かないなんて……」
沙李が隣でポツリと零したその言葉が、全てだった。
そう。あのときと、全く同じなのだ。この辺は確かに人通りこそ少ないとはいえ、やはり車くらいは何台も通る。気付かないわけなんて無い。歩道の利用者が僕ら以外にも居るのだから、なおさらだ。
……魔物との再戦。だけど、状況は圧倒的に悪かった。
「……逃げるか?」
ため息をついて、簡潔に訊ねる。というより、それ以外選択肢なんて僕らに無いように思えた。沙李も、小さくコクリと頷いた。
あの時と……スライムと戦ったときとは大きな違いが二つある。蒼也が不在であることと、相手がスライムよりも明らかに強そうであること。特に後者なんて、リベンジのため沙李が戦いたいとか言うならともかく、今回は本気で洒落にならなかった。戦う理由なんて、全く無いわけだ。
僕は片手で鞄を落とさないよう強く抑えて、一歩だけ後退する。魔物の視線を気にしながら……何の合図も無く、唐突に、駆け出した。それに合わせるように、沙李も走り始める。
――が、
「ナガレ! 追ってきてるよ!」
……やっぱり、状況が違いすぎる。いきなり出てきたような奴が、僕らを逃がしてくれるはず無かったんだ。
背後を窺う。やっぱり獣の造詣をしているせいか、その速度はかなりのものだ。運動をあまりしない僕との距離が、そう変わらない。――くそ。
「はぁ」
僕は嘆息を吐き出すと、目線を周囲にめぐらせる。そして、ある程度まで走ってその場所まで来ると、とっさに横に飛ぶ。――歩道なんて狭い場所ではなく、どこにでもあるコンビニの駐車場へ。
その瞬間。僕の視界の隅に白い影が入り込むと同時、彼女の「あぶない!」という必死な声が耳に入った。
――逃げ続けていた僕が方向を変えたのをキッカケに、犬の骨が跳躍してきた。それが分かった刹那、出来る限りの力で身をそらす。目に映る光景が一瞬にして移り変わる。武術を何一つ知らない僕がこんなことできたのは、正直、ただの運だった。
だから――
「――ぐっ!?」
――着地してすぐに向きを変えて、再び襲い掛かってきた魔物の突進なんて、よけられるはずなかった。
思いっきり腹に向かって、今にも崩れてしまいそうな骨の身体が、真正面から突っ込んでくるなんて攻撃、予想してさえいなかった。その力に耐えられず、僕は人形のように抵抗できずアスファルトに倒れる。強く身体を打ち付けて、痛い。硬い感触が背にぶつかって、ただただ、痛い。痛い。
「ナガレ!」
直後、沙李が僕の名を叫びながら駆け寄ってきて――手にした鞄をその場に置いてから――その、まだ僕の近くに居た魔物の横腹を、思いっきり蹴り上げる。
攻撃こそ、確かに当たっていたものの……けど、魔物はちょっとだけ浮かび上がっただけで、まるで意に介してないようだった。むしろ、アバラに蹴りを入れた沙李の方が顔を歪めるだけで……。
さらに、魔物は追い討ちとばかりに沙李に鋭く生えそろった牙を向けて、飛び掛ってくる。沙李はそれをなんとかかわしたけど……このままだと、危ない。
「……沙李……下がれ……」
気持ちが悪くて、内臓ごと吐き出してしまいそうな腹部を押さえながら、僕は何とか立ち上がる。あのまま寝転がっていては、僕も何の抵抗もできないから。
けど、状況はまるでよくなりそうに無かった。――むしろ、それは最悪の展開と称していいだろう。
沙李は……動けないでいた。……違う。僕も、動けなかった。
まるで威嚇しているかのような態度で、いつでも飛び掛れそうな姿勢の魔物が、僕らに目を配っている。ちょっとでも動けば、すぐにでも襲い掛かってくる……そんな雰囲気が漂っていた。
……まったく、今日はホントに、厄日だ……。いっそ、すぐに殺そうとするならまだ諦められる。力が足りなかったんだと、納得できる。逃げられたなら、後は普通の生活を送ればいい。いつものようにゲームをやって、現実から逃げられたらよかった。
なのに、この状況はなんだ? 唐突にエンカウントして、唐突に負傷して、殺されもせず、動くことも出来ず……。……はぁ。
「……どうするの、ナガレ……」
不安そうにこちらに目を向けて、沙李が訊ねてくる。が、そんなの分かるはずもない。こんなこと考えたこと、一度も無いわけだし。
これの、どこがRPGだよ……まったく。確かに、逃げようとして回り込まれて、僕が攻撃を受けた。沙李が攻撃して、でもダメージゼロ。これだけ見ると、ゲームっぽくはあるけど……じゃあ、今はなんだ? 選択画面か?
……行動の、選択? まて……何かが、違う。スライムのときとは、何かが……。
「沙李」
「な……なに?」
そのとき感じた違和感に、僕は、率直な質問を投げかける。何も出来ない状況とはいえ、僕の思考はいつもどおりだ。痛いとは思っても、あいつに恐怖とかは無かった。ただただ、目の前に異質が居る、という認識だけ。だから、こういう考えも、すんなりできるらしい。
「沙李がスライムと戦ったとき、何度くらい攻撃して、何度くらい攻撃を受けた?」
「そ、そんなの覚えてるわけ無いじゃん! なんで今、そんな……」
「……それだけ、攻撃したんだな?」
……どうやら、僕の声が予想以上に淡々としていたらしく、沙李は一瞬ビクッとおびえたようだったが、しかしすぐに「うん」と頷いた。
「スライムは?」
「それは……ほとんど無かったはずだよ。2,3度くらい……でも、今は……」
こう着状態の根源である魔物を見やり、かなり精神的に参っているらしい沙李。……まぁ、僕はそれだけわかれば十分なんだけど。
「なら、大丈夫だな」
どこまでが魔物の行動に反映されるのか分からないので下手なことは出来ないけど、少なくともよほどのことが無い限り大丈夫そうだ。そう思ってから、僕はぼんやりと考えを始めた。
「ちょっと、一体どういう……何が大丈夫なの……?」
「ん? あぁ、沙李もちょっと気楽にしてていいいぞ」
「……なっ!?」
さすがに、説明なしでは困惑されて当然のようだ。それに、位置的には沙李のほうが魔物に近いので、それどころじゃないんだろう。とはいっても、僕もそんなに遠くに居るというわけじゃないんだけど……。まぁ、少なくとも、会話くらいなら平気みたいだな。
僕はひとまず、端的に答える。
「僕らが動かない限り、その魔物も動かない」
「――え?」
「普通に考えたらおかしいんだよ、そいつ。不意をついて現れたのに、攻撃する気配がなかった。でも、僕らが逃げたら追ってきた。たぶん、僕が最初に攻撃されたのは距離的な問題だったんだろうな。で、今は僕らが動かなければ、そいつも攻撃してこない。……つまり」
「だから、私たちが動かなかったらいいの? でも、そんなこと……」
……この情報、なんだかんだで沙李が一番目を通していたはずなんだけどな……はぁ。
僕は仕方なく、それについても言及することにした。
「それが、そいつの『パターン』なんじゃないか?」
「――っ! そっか、だから……」
これは、あのサイトで得た情報だ。魔物には特定のパターンがある。それが、この魔物の場合『行動に対して行動する』ということなんだろう。僕らが動けば相手も動くし、逃げれば追う。だから、最初に出会ったときはただ睨みつけてきただけだった。そして、今は膠着しきっているから、相手も動かない。
……ただ、ここで、一番の問題があるんだけど……。
「……でも、それって……この魔物を倒さないと、帰れないってことなんだよね……?」
「………………」
そういうことだ。このままなら僕らも無事なのだけど、何とかして倒さないと、どうにも動くことが出来ないんだ。つまり、帰ることもできないということで……。魔物の効果なのか、コンビニの前だというのに、誰一人こちらには目もくれないし……つまり、助けは無い。
「……めんどくさい」
僕は嘆息した。……冗談じゃない。スライムさえ倒せない僕らが、魔物の倒し方を模索するのと同時に、こいつを倒さなければならないなんて……。
「でも、今は……どうにかするしか、ないんだよね……せめて、攻撃できればいいんだけど……」
「だから、考えるしかないだろ」
このままだと何も出来ないというのは、面倒で仕方がない。興味の無い世界の中で何も出来ないというのは、本当に、勘弁して欲しい。
だから、興味ないことを、興味ないなりに、考えてみるしかなかった。
ただ、思考する。これをゲームであると仮定して、どうすれば、これを突破できるのか。
まず、この魔物も恐らくエンカウントモンスターであるということは間違いないだろう。実際、スライムと同じように唐突すぎる登場だった。なら、少なくとも、条件を満たして現れたということはなさそうだ。
だから、根本的な部分はこの魔物もスライムも、同じ。ということは倒し方も同じになると思う。そこに、さらに特定条件があったらどうにもならないけど……。でも、RPGを考慮してみると、序盤からそんなにあれこれと条件があるとは思えない。エンカウントモンスターなら、なおさら。
なら、どうすれば倒せる? どうすれば、魔物に攻撃することが出来るんだ?
魔物は……どうして、攻撃が効かない? それは、僕らが何かの条件を満たしていないからなんじゃないか?
だったら、それはなんだ? この現実的ではない事象に、何が欠けている?
現実ではない事象……攻撃の無効化。打撃が、まるで意味を成さないということ。姿を認知されないという異常。その、リアリティの無い外見。唐突に現実に姿をあらわしたということ。僕らにしか見えていない、その姿。
…………ざっと、これだけ思い浮かべる。
なにが足りないんだ……何が、どうなって…………。
…………まて。
……攻撃が効かない存在。
……認知されない存在。
……リアリティのない存在。
………………重要性。たしか、そう、表記されていたような気が……。どうでもいいことだけに、自分の記憶を疑いそうになるのだけれど……。……でも。
だったら、もしかして……そういうことなのか? もしそうなら、たしかに、今までの僕らは条件を満たしていなかった。それどころか、今まで沙李や蒼也がやってきた攻撃では、絶対に倒せない。
……僕の、都合のいい考えかもしれない。
自分の理想であって、現実逃避なのかもしれないけど……その現実逃避が、活路になるなら……試す価値は、あると思う。
「……動かなくていいなら、もってこいか」
そうして再び意識を集中させる。けれど、今までのように考えるのではなく、想像する。
そして――僕は、それを呟いた。
「――『電子化』――」