最近よくあることの一例。
メドレー等を聴いていて、ふと「あ、この曲いいかも」と思って作業(ブログ巡りとか記事書いたりとか)を中断してニコニコ動画を表示すると、画像が自分にとって免疫のないもの(加えて、あんまり他人に見られたくないもの)だったため、慌てて作業を再開するというケース。今日多発中です。
……自分で言うのもなんですが、相変わらず、美少女系のイラストに慣れないなぁと。ライトノベルの表紙とかでもちょくちょく躊躇いますし。そりゃ、小説とかだと絵さえ見なければ問題なしなのですけどね……。パソコンだと、そうもいきませんし。目当ては音楽と曲名だけなので、画像が出てもなぁ……といった感じ。
…………まぁ、世間的には絵を気に入る人も多いようなので、僕が一人どうこう言っても仕方が無いのですけどね。
そんな僕なので、小説を書いているときも、そんなにキャラのイメージを持っていなかったりします。実際問題、外見描写に関しては、被らないように書いている、といったのが大部分です。
特例として、一部のキャラは、それこそ服装とか容姿が鍵になるケースもあるので、ある程度考えますけどね。『ジュエル』はそれの最善例かと。でも、それ以外はさほど考えていないかもしれません。
で、僕にとってさらに悪いのは、描写をするときに風景とかは思い描きますが、キャラの姿が全く浮かんでいないということ。
今まで特に考えていませんでしたが、よくよく考えてみるととんでもないことになっていたりすることが、たまにあるわけで。
上記のとおり、僕は外見をそれほど想像して書いたことがありません。
実際、『青い鳥』のキャラたちも、絵を描いていただけなければ、まったくイメージできていなかったくらいです(苦笑)。そういった点で、イラストの力は偉大ですね。
で、そう考えると、僕の中で、キャラクターは絵よりも精神面・正確面を重視しているのかもしれません。
なので、文面上は問題ない光景で、一応筋も通っている場面だとしても、そのシーンを想像してみると大変な光景になっていたりします。それに、後になって気がつくということも少なくありません。
……こういうのって、間違いなく作者が『キャラの心理』だけを優先して書いているからだと思います。なので、どんな構図になっているのか自分では判然としていない部分とかがかなり多くなってしまうのですよね。
それこそ、僕の脳内では『Aが後退したから、Bが追う。そこでAがトラップを起動する』とかいう、やたらと機械じみた思考がなされることも多いです。挙句、光景は浮かんでもキャラは存在しなかったりしますし。
以前、『青い鳥』の短編を書いたことがありましたが、アレを後に想像してみると、予想以上に恥ずかしくて一人唸っていました(苦笑)。特に誕生日の話は……思い出したくないくらいです。作者なのに、赤面では済まされなかったかもしれません。こういうのに耐性ない上、自分の創作物なので。
と、いうわけで、理論上・文面上は問題なくても、絵としては大失敗しているなぁと思う今日この頃でした。
……ちなみに、『青い鳥』の面々を絵にしてみると、『女性キャラが一人を除いて年下だらけ』というのも、失敗点だったりします。性格上、里亜・律子以外どうも幼く見えるやつばっかりですし……。さらに、女性キャラ比率が『青空色』になって高くなっていますし……。
…………もっと、絵について考えないとダメなんですかねぇ?