珍しいヤツと出会った。できれば会いたくない相手だった。
エイムショップ『ガーベラ』の前で、ラジとエレはばったりと彼に出会ってしまった。
ラジよりも年下の、病的に痩せた体躯の少年。常に全てを敵に回そうとする瞳をした彼は、当然のように敵意を二人に向けてきた。
ストレアの街におけるグラート撃破数第二位、スゥイ。彼は、主にエレを睨みつけて。
「死ね」
開口一番にとんでもないことを言った。あろうことかエイムまで取り出し、今にも殺しに掛ろうとしている。
一方のエレはへらへれと笑いながら、「じゃれるのはよせやい」と、両手を広げながら見当違いなことを言う。
エレが相手なら問題はなさそうだが、一応ラジもすぐ迎撃できるよう構えた。
「しっかし珍しいとこにいるねぇ、スゥイ。……ま、そりゃここにはエイムがあるから、いつかは来るだろうなぁと思ってたけどさ」
「わかってんなら失せろ」
「嫌だー帰りたくなーい」
にやりと嫌な笑顔を見せると、エレは一瞬のうちに店の入り口を塞ぐような位置まで動き、いかにも挑発していると言わんばかりの挙動で動いてみせる。
「だいたいさぁ、まだ開店してないんだよ? こんな時間に来てなにするつもりさ? また人がいない時間を狙って、店主を恐喝してでもエイムを奪おうとか考えてるんじゃないのか? 今までそうしてきたみたいにさぁ」
「わざとらしいんだよテメェ! わかってんなら、邪魔だから消えろ!」
「そうはいかん。なぜならこの店には我々の朝食が眠っているんだから!」
ヘリトの立場で見れば、どちらの浸入を許した方が厄介だろう。二人のやり取りを見守りながら、ラジはヘリトに同情していた。
この場に居る自分がバカらしくなり、何気なく視線をさ迷わせる。
「だいたい、スゥイはどれだけエイムを手に入れるつもりさ? 欲しければわざわざ奪おうとしなくたって支給もされることだし、いいじゃん」
「うるせぇ! 俺は、エイムが手に入るならいくらでも欲しいんだよ」
「まぁ、それでもここのエイムはお勧めしないけどね。ヘリトの作ったやつじゃ、使ったところでたかが知れてる」
「ごちゃごちゃうるせぇよ。いいからそこをどけ!」
重々しい金属音と、営業妨害も甚だしい発言を無視して、あたかも他人を装うラジ。
――と、視線がふらふらと揺らいでいた時、不意に小さな人影が目に入った。
小さな路地からこちらを覗いていたのは、ノーアのようだった。彼女はラジと目があったことに気付いたのだろうか、路地を飛び出して自分たちの間を掛け抜け、またどこかの路地へと消えてしまった。
「お、おい! ノーア!」
呼びかけたが返事はない。まるで、こちらのことなど見えていないかのようだった。
どうやらラジの声はエレとスゥイに聞かれていたらしく、二人の視線はこちらに向けられていた。が、エレは特に気にした様子もなくスゥイに向きなおし。
「ともかく、だ。あたしらはこれからこの店に入るから、どっちにしろあんたに野次入れる気しかないよ? それでも入るかい? 交渉どころじゃないくらい邪魔だろね」
「ちっ……くそが、覚えてやがれ」
いつの間にか二人の間でやり取りが終わっていたらしく、スゥイは今にも手にした槍で殺しに掛りそうだったが、舌打ちして不愉快そうに帰っていった。
スゥイが消え、エレはやれやれといった様子で。
「やんちゃだねぇ。でも、元気なのはいいことさ」
「全然良くないですよね。普通の人だったら犠牲者出てますよね、今のやり取り」
「ま、ね。でも普通の人ってのは大概あいつから逃げる。一方で、あたしゃこのやり取り以外あいつとやったことはない。いやぁ、そう考えると仲がいいねぇ、あたしら」
どんな仲ですか。思わずツッコミたくなったが、きっとラジには理解できないので止めておいた。……その代わり、別の質問を口にする。
「前から思ってたんですが、エレさんとスゥイってどんな関係なんですか? なんだか、エレさんに対してやけに攻撃的な気がするんですけど?」
「仕事仲間だよ? ただ、前に助けてやったのがよほど気に入らなかったらしいけどさ」
「前に? グラートの討伐中ですか?」
「や、あいつがまだエイムを持ってなかった頃に。あいつから見りゃ、気に入らない相手を殺そうとしたところを、横取りされたって感じなのかな?」
立ち話もなんだし入ろうか。そう言って、エレはまだ開店していない店の扉を開いた。
まだ薄暗い店のフロアで商品の点検をしていたヘリトが、一瞬驚いたような顔でこちらを見上げ、間を置いて呆れたような苦笑で迎えてくれた。
「やぁやぁヘリト。どんな調子さ?」
「おはよう、エレ。相変わらず神出鬼没というか、珍しい組み合わせというか……」
「気にすんなよ。あ、ちなみに店の前に居た客を一人追い返しといたから」
「なんてことしてくれてるんだい君は!」
追い払った客というのがスゥイであることを、おそらくヘリトは知らない。しかし、彼は酷く落胆した様子であった。
どんよりとした空気を背負ったまま、ヘリトは店の奥から椅子を持ってきてエレに差し出した。彼女はあっけらんかんと笑いながら。
「さすが旧友、気が利くさ」
「エレに言われたって全く嬉しくないけどね。それで、他に要求は?」
「あたしゃパンを所望するよ。あと、少年にもやってくれ」
バンバンと膝を叩く様は、子供が駄々をこねるような仕草のようだった。
彼女の言葉を受けて、ヘリトはため息交じりにすごすごと店の奥に消えていく。
「……いつもこういう感じなんですか?」
真っ先に抱いたのは、そんな疑問だった。
今までのエレのイメージは、どちらかと言えばおかしなお姉さんといったものだった。けれど今のやりとりは、親に頼りきった子供のような印象があった。
「そりゃそうさ。なんせ、あたしとヘリトは友達だから」
問いかけに、彼女は当然とばかりの答えを用意してきた。
「結構長いよ? だって子供のころからの付き合いだからさぁ。おかげでお互いの考えることはなんでもわかってるってこと!」
「僕は未だに、エレの考えが全くわからないけどね」
ビシッと親指を立てたエレとは対照的に、パンの置かれた皿を両手にしたヘリトは淡々とした動作で朝食を差しだした。
エレが「サンキュー」と軽い調子で、ラジが「ありがとうございます」と一礼してそれぞれパンを受け取り、口に運ぶ。
「店はまだ開けないことにするからゆっくりしていいよ」
「もぐもぐ……んぐっ……ん、もふもぐ……悪いね」
「……エレ、食べるか喋るかどっちかにしなよ。いつまでも子供じゃないんだからさ」
「そういうあんたは……ごくん。相変わらずお人よしの頑固者じゃないか」
「頑固者は余計だよ」
コツンと軽い音がした。ヘリトがエレの額を小突いた音だった。
「お二人はずっとこういう仲なんですか?」
額を抑えるエレと、どこか少年のように笑うヘリト。出会って一度も見たことの無い二人の表情を前に、ラジは訊ねた。
すると、ヘリトは肩を竦めて「そうでもないよ」と言った。
「今でこそこんな仲だけど、最初のエレって相当荒れてたから」
「言われてみればそっかもねぇ。あたしの両親がグラートに殺されて、いつの間にかこの街のゴミ溜めに捨てられたくらいだったし。……エイムもない時代にグラートと戦うなんてバカやってた親だから、こうなって当然っちゃ当然だけどさ」
言葉ではそういうエレだったが、明らかに表情は険しかった。彼女がグラートに敵意を示すのは、おそらくそれが原因なのだろう。
「あ、もしかして、その頃に出会ったのがヘリトさん?」
「半分正解だよ。子供のころのエレと最初に仲良くなったのは、僕ともう一人いたんだ。ディルって名前のやつで……ノーアのお兄さんだよ」
ノーアの兄。ヘリトがそう言ったとき、彼は何かを懐かしむような憂いを帯びていた。
「僕とディル。この二人が、酷かったころのエレに出会って、それ以降ずっと三人でなんだかんだ色々やってきたね」
「懐かしいねぇ。どっかの頑固者のお人よしがしつこくかまってくれたおかげで、あたしもずいぶん丸くされちまったもんさ」
「……丸くさせられた? へぇ……あいつの妙な実験とやらに振り回されて、君の奇怪な行動に迷惑してきた僕の気苦労も知らないで?」
少なくともエレがヘリトを振り回す様子は想像に容易かった。
しかし、ディルという人には出会ったことが無いので想像することさえできない。……それに、なんとなく、訊ねてはならない気がした。
ラジの心境を察してか、ヘリトは一拍置いて。
「あいつはとんでもない変わり者だった。周りからも、狂科学者って言われてたくらい。いいやつだったけど、自分の興味があることには異様な執着を見せる奴だったんだよ」
「……いいやつだった、ってことはやっぱり」
「うん。一年前に、爆発事故で。そのとき、一緒に居たノーアだけ助かったんだけど、ディルは原形がわからないほど壊された状態で発見されたって」
ヘリトの提示した単語に、ラジはなぜか引っかかりを覚えた。どこかで聞いたような覚えがあったためだろうか。
「すごい奴だったよ。たしかにあいつは、傍から見れば変わっていたかもしれないけど、五年前のエイム技術確立に関わったくらいだからね。グラートの性質を応用したのがエイムだって言葉も、あいつから出たって噂があるくらい」
「でも、あいつはやりかねないとあたしゃ思うぞ。だいたい、あの頃の時点で魔力に目を付けて研究しようなんて、あいつくらいしか言わんだろ」
全ての人に魔力はあるが、魔法のような力は誰も使えない。そんな謂れを真っ向から打ち破る技術者なのだから、本当にすごい人だったのだろう。
昔を懐かしむような二人。だが突如、エレが不気味に微笑んで。
「しかしまぁ、そのおかげであんたはノーアを弟子に引き込んであれこれ教え込んでいるわけで。引き取り手がいないって口実をつけてね」
「言っておくけど、僕らは普通に師弟関係だよ? やましいこととか、全く無くね」
ヘリトは余裕の笑みで返した。その表情に焦りや戸惑いはなく、言葉が真実であることを物語っていた。エレは面白くなさそうに舌打ちする。
「そういうエレだって、スゥイとじゃれあってるそうじゃないか」
「おう、なんて言ったって命の恩人だからな。懐かれて当然さ」
「……はて、グラート相手に素手で挑んでボロボロだったスゥイは、横からあっさりと獲物をかっさらった死神を嫌悪してるって、よく耳にする噂なんだがね」
とんでもない話だったが、誰から構わず牙をむくスゥイなら、エイムが無くても化物と対峙しそうな気もする。それに、あっさり獲物を殺したエレを気に入らないと敵視するのも頷ける話だった。
そこで話が一息ついたからだろうか、誰かが吐息を零したと同時に言葉が途切れる。
タイミングはここだとばかりにヘリトは手をたたき、表情を引き締めた。
「じゃ、そろそろ店を開けるかな。……ところで、ノーアは?」
「え? ここに来る前、外にいましたけど?」
「あれ? おかしいな、何も聞いていないんだけど?」
ラジとヘリトの会話が止まり、エレののんびりとした欠伸だけが部屋に音を与えた。
僅かな間をおいて、二人が訝しんでいると、唐突に扉が開いた。振り向けば、そこに居たのは小柄な少女ではなく、活発な旅の同行者だった。
けれど、扉を開けたテリハの顔は、どこか切迫したように思えた。
「ねぇ、ラジ。ノーア見なかった? 三十分くらい前にケンカしちゃって、すぐに追いかけられなくて、だんだんと不安になったから、謝りに来たんだけど……」
「なるほど……じゃ、仕方がない。店は僕が一人でやっておくよ」
テリハの不安を余所に、三人は納得してそれぞれ動き始めた。テリハだけは事態が飲み込めず、首を傾げるだけだった。
ノーアが外に居たのはケンカが原因だった。なら、そのうち帰ってくるだろう。
……心の中ではそう思っていたのだけれど、きっと誰もが疑問を抱いていただろう。
師匠に何も告げず出て行ったノーアが、どこに行ったのだろうと。
過る不安の中、エレがボソッと「ちょっと回ってくるか」と言った気がした。
深くて暗い世界から、目を開くことでようやく解き放たれる。
なぜか頭が痛かった。どこかでぶつけたのだろうか? 過った疑問と残された眠気を払うために首を振って、周囲を見回した。
映りこんだ景色に、少女は酷く戸惑う。彼女が置かれているこの場所が、全く知らない部屋の中だったからだ。
ここは、朽ちた木で造られた簡素すぎる小屋のようだった。雨さえしのげればいいということなのか、壁の一部が酷く損壊し、猫くらい余裕で通れそうな穴があいたままだ。
そこから見える光は、どう見ても朝日のそれではなく、朱を帯び始めた夕刻の近づくものだった。……店がとっくに開いている!
「な、なんでこんな――」
慌てて飛び起きようとした途端、強い力に引っ張られ、ノーアは倒れこんでしまった。
痛みは右腕から。何が起こったのか理解が追いつかず目を向けてみると……彼女の華奢な腕には似つかわしくない、重々しい鎖が巻きついていた。鎖はノーアの右腕と、ボロボロになった家屋の柱に繋がれていた。
ノーアは焦り、左手で自分の服を探った。師匠から貰ったエイムなら、この柱くらい壊せると思ったためだ。
……しかし、どれだけ探しても、店を出たときにあったはずのエイムはなかった。
「な、なんで!」
驚愕の悲鳴が漏れた。いつも持ち歩いていたエイムが、なぜこのときに無くなっているのか理解できなかった。
だが、驚いてばかりもいられない。まずは状況を整理しないと。
深呼吸してもう一度身の回りを確かめる。自分は酷く手狭な小屋の中に居て、鎖で繋がれて身動きは取れない。身なりに変化はなく、エイムだけはなくなっている。自身の変化は、それこそ何かが頭を打ったような頭痛くらいだ。
「……どう考えても拉致ですよねぇ、これって?」
状況を整理すれば、嫌でもそういう結論に至ってしまう。
でも、わざわざノーアが狙われる理由はどこにあるのだろう?
「うーん……あんまり頭使うのは得意じゃないんですけど」
それでも考えてみる。犯人がノーアを捕えて、一体どういう得があるのか。
こういうとき、兄くらい賢ければすんなり答えがでるのに……。
「……止めましょ。あいつを思い出すと、気分が悪くなります」
一瞬、頭痛とは別の痛みが浮かびかけて、ノーアはつい思考を中断した。もしあのまま思考の深みにはまってしまえば、自制がきかなく発狂していただろうから。
けれど、おかげで一つ、いいことを思いついた。
「非常時ですから、仕方ないですよね」
誰にともなく確認を取り、一応周囲を見回すと、ノーアは左手を鎖に向けて広げた。
意識を集中。掌に光が流れ込むイメージを働きかける。
するとどうだろう。まるで魔法でも使っているかのように、ノーアの左手には青白い小さな光球が浮かび上がった。
「……この小屋、壊れませんよね? 信じますよ」
それだけを心配し、彼女は左手を大きく持ちあげ――
掲げた細い腕に、長い鎖がじゃらじゃらと音を立て、蛇のように絡みついてきた。
「えっ!」
集中力が乱れたせいで、青白い球体は煙となって消滅してしまった。それどころか、鎖に巻きつかれた自分の体に力が入らなくなっていた。
しかし、問題はそれだけではない。現れたもう一本の鎖を目で追った矢先には……まるで獣のような瞳を持つ少年が、入口に立っていたのだから。
スゥイ。エイムマスターとエレに呼ばれた彼が、鎖を手にこちらを睨みつけていた。
「お前、まだエイムを持ってたのか?」
口を開いて真っ先に言ったのが、それだった。
彼が幾つもエイムを持っているのは知っているし、エイムにやたらと執着するのも知っていた。もしかしたら……。
「あ、あなたが私のエイムを取ったんですか?」
「あぁ? これか?」
スゥイは事もなげに鎖を青い結晶に戻すと、ホルダーから別のエイムを取り出して復元。現れたのは、紛れもなくヘリトの作った《トライスカー》だった。
彼はそれを、一糸乱れぬ動きで操っている。ノーアですら再現できない動きは、とてもこのエイムを手にして間もない人間とは思えなかった。
「いいエイムだな」
「それはまぁ、私の師匠が作ったエイムですからね」
ノーアの声を聞いているのかわからないが、少なくとも彼がエイムを操っているときはいい笑顔だった。とても、誰かれ構わず噛みつく野犬のものとは思えない。
彼は《トライスカー》を収めると、次いでノーアを睨みつけ。
「お前がさっきやったのも、エイムの力なのか?」
「いえ。私はちょっと変わり者ですから。エイムなしであれくらい出来ます」
否定すると、スゥイは興味を失ったようにそっぽを向いてしまった。
彼の質問に答えたので、今度はノーアが質問する番だった。
「スゥイさん、あなたが私をここに繋げたんですか?」
「他に誰がいるんだ?」
「……なんでこんなこと」
ノーアの問いかけに、スゥイは気に入らないように言葉に刺を生やして「うぜぇ」と言い、酷く面倒くさそうに話す。
「確認のついでだ。お前の師匠ってのは、『ガーベラ』のヤツだろ?」
「はい。……あ、なるほど。つまり私は人質ってことですか」
閃いて口に出したが、スゥイに「わかってんなら訊くな!」と激怒されてしまった。
犯人がスゥイなら事の流れはよくわかる。おそらく人目の付かないところで頭を殴って昏倒させ、ここに運び込んだ。その後は人質にするつもりなのだろう。目的はエイム。こんな手段に出たのは理由は……エレが朝、店の前で彼ともめていた気がする。
あのダメ人間のせいか。心の中で呪詛を唱え、仕方なくノーアは彼に向きなおした。
「言ったら悪いですけど、師匠なら確かに惜しまないでしょうね、エイム。あの人はお人よしが過ぎますから」
自分が助かりたいと思ったわけではないが、嘘を吐いたらあの師匠に悪い気がした。
だけど、優しい師匠を苦しめるのは、ノーアだって許せない。
「でも、なんでそんなにエイムが必要なんですか? スゥイさんはもう充分に強いじゃないですか」
遠まわしに、エイムはもう必要ないと言った。
しかし、彼は見る者を委縮させる血走った瞳でノーアを睨み、ズカズカと彼女の傍まで踏み込んでいく。
「ざけんな。お前の価値観を押しつけんじゃねぇよ。エイムが必要か? もう充分に強い? ふざけたこと言ってんじゃねぇよ!」
彼は結晶の一つを取り出し、青白い光を放って武器を作る。先ほどの鎖だった。
彼はそれを振り落とした。ノーアの足元を激しく打ち、木片と埃をまき散らす。
それでも、逆鱗に触れられたスゥイは止まることを知らない。
「ここがどこか知ってるか? この街の、ゴミの溜まり場だ! 街の連中ならそれで片付くけどな、ここは俺の住処だったんだよ!」
……え? ノーアは、彼の言葉が信じられなかった。
もしも言葉の通りなら、ここは街の外れにあるスラムということになる。そして、彼はそこに住んでいた?
「そんな俺を、街の奴らはどう見てたと思う? わかるか? あいつらは俺をただのゴミにしか見てなかった! ここに住んでいる奴だって、俺にとっちゃ敵だ! どいつもこいつも陰口ばかり吐きやがって、反吐が出る!」
今、少しだけわかった気がした。
グラート討伐数第二位。その功績とは裏腹に、誰も近寄れないほど牙を剥く少年。
彼がこうなってしまったのは、人間に対する不信感と嫌悪感が強く根付いてしまい、相手が誰であろうと――それこそグラートであろうと――気に入らなくなったせいなのだ。
「どんな奴だって、なに考えてるかわかりやしない。けど、エイムは別だ。エイムに裏表なんかない。だから、俺はこいつだけは信用できる。エイム以外、頼るつもりもねぇよ」
エイムを作るのに必要なのは、揺るがない一つの信念。それは人間嫌いのスゥイにとって、この上なく頼りになるものなのだろう。
「……そうですね」
こくんと、ノーアは小さく頷いた。
「あぁ? 何言ってんだ、テメェ?」
「私も、ひょっとしたら似たようなものかもしれないですから」
「ふざけんな」
スゥイが鎖を振り回し、今にも殴りかかろうとしてきた。
それに合わせて、ノーアは手をかざし――集中する気もなく、ただ魔力を暴発させる。
精度も威力も全てが甘い、真正面に起きた小規模な爆発。だが、スゥイの動きを止めるのにはそれで充分だった。
「これしか頼るものが無いんです。……いいえ、私にはこれしか、無いんです」
俯き加減にそう言って、ノーアは弱った声を出した。
「私は魔女ですから。魔力が大きすぎるせいで、エイムなしでなんでも壊せちゃいます。そのくせ、他のことをやってもドジばっかりで失敗ばっかりです。だから私は、魔力くらいしか頼れるものがない。でも、魔力が多いせいでエイムは上手く作れません。壊しちゃいます。……なんでもかんでも壊しちゃうくせに、他にできることがないくせに……」
もう一度、ノーアは笑みを浮かべた。満面に張り付けたそれは、自嘲だった。
「こんな魔力を持っちゃった魔女は、魔力で壊す以外、何も取り柄がないんですよ」
他人で、エイル結晶のような媒体を使わず魔力を放つ人を見たことが無かった。
それほどまでに膨大な魔力ではエイムを作れない。なのに、ノーアには魔力以外の取り柄がなかった。魔力から切り離した生活は……きっと、大きすぎる力を持っているせいで、できやしない。
「それがどうした?」
ノーアの切実な、誰にも零さないような悩みを吐露されても、スゥイの反応はたったそれだけだった。あまりにも淡白で、何一つ気にした様子はなかった。
それどころか、彼はさきほどよりは多少好意的に思える顔で。
「魔女だかなんだか興味ねぇけど、テメェがエイムを作るってんなら、作ってみろ」
「……いや、あのですね? 私の話、聞いてました?」
「うっせぇ。なんだ、職人目指してるとか言っておきながら、なんで作れねぇとか言ってんだ? 作る気がねぇならとっとと諦めろ」
「っ! な、なんでそんなこと言うんですか!」
今度はノーアが怒る番だったが、反論できない自分がいた。
悔しいが、スゥイの言うとおりだ。自分はどこかで、何をやったって壊してしまうと、ならば壊れてしまえと卑屈になってしまう。けれど、エイム作りはそんな自分を変えられる切っ掛けになると思うのだ。なにより、自分を救ってくれた師匠に恩返しができる。
奇しくも、ノーアの沈んだ気持ちに喝をいれてくれたのは、目の前に居る誘拐犯だった。なんだか情けないようなおかしいような気になってくる。
「わかりましたよ! 今はこんなですけど、いつか絶対に作ってやりますよ!」
「けっ。だったら作ってみろ、お前のどんなエイムでも使ってやるからよ。……はぁ。 なんかしらねぇけど、イライラしてきた。さっさと行くか」
「っ~! あなたは人を立ち直らせたいんですか、それともへこませたいんですか!」
ぎゃあぎゃあと叫ぶノーアを無視して、スゥイは酷く面倒くさそうに小屋を出ていく。おそらく、ヘリトのところへ向かったのだろう。
再び無音の空間が訪れ、ノーアはひっそりと溜息を吐いた。
「まったく、エレさんといいスゥイさんといい、なんであんなのばっかりなんですか」
なんで身近な人でも、仲良くなった人でもなく、あんな野獣のような凶暴な男に自分の気持ちを理解されなきゃならないのか。
とはいえ、吐けるだけの愚痴を吐いたおかげで、気分はとても落ち着いていた。
薄暗い空間の中、拘束されたままで落ち着くのもおかしいけれど。
「目下やることは……脱出して、師匠に謝って……テリハさんに、謝らないと」
ここを脱してからの方が問題だった。重苦しい溜息を吐いて、ノーアは目を閉じた。
脱出するには、スゥイが近くに居てはならない。魔力で鎖を吹き飛ばして逃げるのだから、大きな音を立てては気付かれる。
だから、今は時間が経つのを待つしかない。そう思った直後だった。
ゴトッ。不意に、変な音がした。怪訝に思って目を開いて――