三人組に共通点があるとすれば、それは親がいなかったことだろう。
厳密に言えばいなかったわけではない。ただ、ヘリトの両親はとうの昔に離婚し、自分を引き取った母からはほとんど放置され、挙句の果てに彼女はいなくなっていた。
ノーアの兄、ディルはこの街に預けられた子供だった。彼の両親は別の街で研究者をやっているらしいが、街に来たところを見たことはない。
ヘリトとディル、そして両親を亡くしたエレ。三人が仲良くなるのに、そう時間はかからなかったと思う。最初こそ仲良しを拒んでいたエレも、次第に打ち解けていき、良くも悪くも笑みを増やして懐いてくるようになった。
……だけど、ディルだけは、この三人の中で異質だったのかもしれない。
まだ両親が生きており、自分をほったらかして研究に没頭している。その事実は、きっとヘリトとエレには理解できない苦痛だったのだろう。
……だから。こと研究や実験に対して異常なほど熱意を見せる彼は、数年前にこの街に預けられたノーアの、その特異な魔力に目を付けたようだ。実の妹であろうと、親に対する復讐心と研究意欲に支配された彼は、裏で何をやっていたのかわからない。
一年前の爆発事故……いや、ノーアが恐怖心に負けて魔力を暴発させたその事実は、彼がどんな非道を行っていたのか証明するには充分だった。
事故の後、何回かノーアと面識があったヘリトは、彼女を預かることにした。だが、当時の衰弱しきったノーアは、ときどき自分を『魔女』という単語で罵るだけだった。彼女の中にある魔力が肉親を殺したという事実は、酷いトラウマを植え付けていたのだろう。
……なぜかそれが、ヘリトには許せなかった。ディルのやったことは間違いだと、頑なに否定したかった。
だからヘリトは、こう声を掛けたのだ。
――君の力は壊すだけじゃない。ノーア、僕のところでエイムを作ってみないか?
長い間一緒に居ることで、次第に打ち解け、普通の女の子という印象を取り戻してくれるようになったノーア。
ただ一点、付きまとったのはやはり、強大すぎる魔力だった。そのせいで彼女は、瓦礫の山の中で、黒い悪魔に意識を奪われて、光の無い瞳で虚空を見つめている。
ノーアの元に今すぐにでも駆けつけたい。だが、ヘリトの視線は弟子ではなく、少女の頭上を埋め尽くす黒い影に縛られてしまっていた。
「……これが、グラート」
思わず言葉が零れた。これまでの人生でグラートを見たことは何度かあったが、自分から立ち向かうのは初めてだった。
加えて、相手はベテランのエレからも規格外と言わしめる怪物だ。ノーアの尋常ではない魔力を得た、グラートの中でも異常な存在。
建物を四つ以上隔てているにも関わらず、黒い人影は見上げるような高さでそこにそびえている。手にしたエイムが宙を舞うが、とても敵うとは思えない威圧感だった。
七剣のエイム《セブンスエッジ》――ノーアに渡した《トライスカー》の強化版であり、ヘリトの現時点で最高の出来を誇るエイムだ。手にした短剣を中心に、宙に浮く大小六本の剣を操作し、意のままに操る。……だが、巨人を前にしては、自慢のエイムも玩具同然に見えてしまう。
目的さえなければとうの昔に逃げ出していただろう。この場に居るだけで昏倒しそうになるほどの存在感を前に、ヘリトは流れる脂汗を拭い、意識して足を踏みしめた。
「そんな大層なエイムを持ってるんだ。ちょっとは落ち着きなよ、ヘリト」
一方で、エレは相棒の鎌を気だるそうに担ぎ、薄い笑みを浮かべていた。余裕があるとも取れる、獲物を見つけたと狂喜しているようにも見える、不思議な表情だった。
「見ろ、やっぱりあいつは頼りになるさ。あいつがいなきゃ、今頃とっくにお前はボロボロにされてる頃だな」
ボロボロで済めばいいけど。笑えない冗談を交えながら、彼女は指を差して、うずくまる少年を示した。
途中から奇妙だとは思っていた。最初はあれだけ轟音の響く戦場であったはずなのに、二人が駆け付けた時には音がほとんど止んでいたのだ。
理由は言うまでもない。巨人を閉じ込めるように足元から伸び、手足に巻きつきその体を縛り付ける鎖のおかげだ。
拘束のエイム。職人の勘がそう告げた。この鎖は、おそらく相手の力を抑える能力なのだろう。そうでなければ、細い鎖が巻きついた程度であの化物が止まるはずがない。
行使しているのは、身体のいたる所から血を流し、肩で息をする少年。この街でエレの次に強い、スゥイに他ならなかった。
「よおスゥイ。お前がこれ使うなんて珍しいじゃないか」
エレは街で友人を見つけたような気軽なノリで、息も絶え絶えな少年に話しかける。彼は恐ろしいほど鋭い瞳で「あぁ?」と噛みついてきた。
「うっせぇよ。俺だって好きでこれは使いたかぁねぇんだ!」
「……ということは、使えるエイムは全部壊れたってことかい」
「黙ってろ!」
彼は息を吹き返したように立ち上がり、見ている方が不安になる足取りでこちらにやってくる。
……どう見ても彼の外傷は、動き回っていいようなものではなかった。気力だけで動いているといっても過言ではないだろう。
ヘリトは傷だらけの少年を見てそう思ったが、当人は痛みさえも無視して。
「くそ、なんなんだよあいつは! おいテメェ、お前のエイムをよこせ!」
エレの隣にいた自分に向かって、狂ったように睨みつけてきた。彼の眼には、ヘリトが映っていないかのよう。
一瞬、彼の殺気に押されて気持ちが揺らぐ。……だが。
「そのエイムなら、あいつが持ってたヤツより強そうだ」
ノーアを見ながら言った言葉に、ヘリトは動揺した。
「待ってくれ。君、どうしてノーアのエイムを持っていたんだい? 君とノーアは、どこかで面識があったかな?」
「うっせぇよ。奪ったに決まってんだろ」
――瞬間、頭の片隅に置いてあった謎が砕け、解けた疑問は理性を壊す余波を生んだ。
考えてみればおかしな話だ。ノーアはここに来るようなことはまずない。なのに、この場所でグラートが現れた。なら考えられるのは、こういうシナリオだ。
……スゥイがノーアをこの場に連れてきてエイムを奪い、後にノーアが取りつかれた。
「お前のせいか……お前の!」
理解した途端、感情は抑えられなくなった。手にした短剣をスゥイに突きつけた、それを合図に周囲の様々な剣が少年を襲う。
――立っているのがやっとな細い姿を、六本の剣が容赦なく貫く。
頭の中にあったそのイメージは、黒い影の介入によってあっさりと打ち砕かれた。鋭く尖った剣の突きも、容赦ない大剣の圧力も、たった一本の大鎌に弾かれてしまっていた。
エレはこちらに背を向け、相棒を横に投げ出すような姿勢で「やめときな」と零す。
「気持ちはわかるけどさ、もしスゥイを殺したらどうなる? グラートを拘束するエイムが消えて、真っ先にあんたが殺される」
「エレ……だけど!」
怒りに身体は震えたが、エレに諭されて心に冷たいものが落ちるのを感じた。途端、力が抜ける。
そこでようやく彼女は、いつものにやついた笑みでこちらに振り向いた。
「それくらい力抜いてる方がいい。殺意なんて、ヘリトに似合わないさ。……さて」
顔を正面に向け、エレはスゥイに視線をやって片手を上げた。優しげな笑顔も一緒に。
「スゥイ、あんたはもう下がっときな。そんなボロボロじゃ、あたしだって守ってる余裕なんてないさ。ただでさえお荷物が一つあるんでね」
ま、あれの動きを止めてくれたのは大助かりだったよ。快活に笑いながら、エレは友人と雑談を交わした後のように、何事もなくスゥイの横を抜けて歩をグラートに向けていた。
――不意に、少年が歯を噛みしめながら。
「んだよ、おい? なんでお前、それだけしか言わねぇんだ」
死神を睨みつけながら、スゥイは言う。理解できない憤りを隠そうともせず、ただただ感情的に言葉を放っていた。
振り返ったエレはにやにやと口元を緩ませながら、人を困らせるように。
「おやぁ? 他に何か言ってほしかった? もしかして、よく頑張ったって撫でてもらいたかったりした?」
「死ねよテメェ。……そうじゃねぇ」
忌々しげにエレを睨みつける彼は、苦痛に耐えるように両手を握りしめていた。
「あのガキ、お前の知り合いだろ? だったらお前、なんで俺を怒りもしねぇんだよ」
スゥイの呟きが贖罪を求めているわけでもなく、ただの疑問であったことは、ヘリトにもわかった。そもそも、ヘリトにだって疑問だったのだ。
「意味がわかんねぇよ。普通、そういう時はキレたりすんだろ。そいつの方が普通だろ」
一瞬、スゥイはヘリトに目を配った。その通りだとヘリトも思う。
「なのになんでテメェはいつもそうなんだ。他の奴が逃げても、怖がっても、恨んでも、なんでお前だけはそんな調子で俺に絡んでくるんだよ! お前は一体何がしたいんだ!」
彼の憤りが爆発したにも関わらず。エレは、何食わぬ顔で即答した。
「スゥイに頼られるようになりたい」
「……は?」
「何、その異国の言葉を聞いたような反応? だから、あたしゃあんたに頼られたい。信じてもらえるようになりたい。そんだけ。文句は一切受け付けてやんないよ」
時が止まったように思えた。音があるとすれば、それは目の前の黒い怪物が、鎖を千切ろうともがく度に生じる金属音だけだった。
不安にさせる音さえも放置して、エレは肩を竦めて微笑んだ。ふざけるな、とスゥイは凄みを利かせて踏み込んだ。
「俺がお前を頼る? はっ、バカだろあんた。俺が頼れるのはエイムだけだ」
「だろうね。第一、そうさせた原因はあたしさ。最初にあんたを助けたとき、グラートを倒した死神じゃなくて、その鎌しか見てなかった」
「んだよその言い草。なんでもわかってる風に……オメェに俺の何がわかるんだよ!」
「結構わかるよ。だってあたし、ここの出身だもん。酷いことも散々言われてきた」
さらりと言ってのけるエレに、スゥイの反論は止まった。
「あたしも気付いたらここに居た。街のゴミ捨て場にさ。けど、こんな場所からヘリトたちはあたしを助けてくれて……それが、嬉しかったんだろうねぇ」
懐かしむような、恥ずかしがるような、喜んでいるような。複雑で、けれど決して悪くない表情を表に出しながら、エレはこちらを見てきた。
「それからというもの、戦い以外だとあたしゃヘリトを頼ってんだ。そうすると気楽になれるのさ。周りを全部敵にしなくて済むし、居場所だってもらえる。戦いにしか自分を預ける場所がない、なんて必要も無くなってくるしねぇ」
グラートに両親を奪われ、平穏から遠ざかってしまったエレだからそう言えるのだろう。
戦いのときは死神と名乗る彼女だが、普段は自他ともに求めるダメ人間だ。もしかしたらそれは、戦い以外のことを他人に頼りきっている証拠なのかもしれない。
嬉しいような情けないような気持ちになるが、それだけではスゥイに届かない。
「だから、俺もあんたみたいになれと?」
「理想はそうさ。昔のあたしを見ているみたいだから、あたしを頼ってほしい。……まぁ、もちろんすぐにそうなれとは言わんし無理だと思ってる。どっかの頑固者みたいにしつこく説得してみたいんだけど、あたしにはなかなか難しいし」
「それが、僕のエイムを弾いた理由かい?」
「そそ。みんなこいつの敵だってんなら、あたし一人でも味方になってやりたいから」
エレはエレなりに、がんばってスゥイを助けたかったのだ。けれど、他人との接し方が絶望的にダメな死神は、ヘリトが思っている以上に思いを伝えられないのだろう。
でもさ。と、エレは何かを理解したように相棒の《リベンジャー》を差しだした。
「あたしにゃやっぱり無理だ、ヘリトみたいに対応すんの。だけど、お前があたしを頼れないって言うなら、せめてこいつを信用してくれないか?」
「……お前のエイムを?」
「そうさ。お前はエイムしか信じないんだろ? だったら、あたしが振るう相棒を頼ってくれ。頼って、今は逃げておいてくれ。あたしが……《リベンジャー》があのグラートを殺してくるから」
これで文句はないだろ? 死神というよりも聖者のように優しく微笑む彼女に、スゥイは反論できなかった。
ただ、彼はつまらなそうに踵を返して。
「あと一分だ。俺のエイムは、それ以上持たない」
「おや、珍しいねぇ。あんたが他人にそんなこと言うの」
エレが言うとおり、彼から他人へ情報を与えるという印象は、今までなかった。
彼は吐き捨てるように「ふざけんな」と言うと。
「このまま下がる気はねぇよ。最低でも風穴は開ける。そうでもしないと気が済まねぇ」
「ははっ、それでこそスゥイだ。ま、無理はすんなよー」
エレの言葉には答えず、スゥイはふらふらと建物の裏へ消えていく。
やれやれとエレは肩を落とすが、すぐにこちらに目をやって。
「さてさてそういうことで。あと三十秒でこいつは動く。防御と回避メインで身構えろ」
彼女の言葉に、今までの和気あいあいとした調子はない。瞳は鋭さを帯び、手にした大鎌は彼女の魔力を吸って怪しげな光を浮かべていた。
どくんと、心臓が跳ねる。もう後戻りはできないと知っていながら、ヘリトは逃げ出したい衝動に押しつぶされそうになった。
ふざけるな。首を振って両手で短剣を握り、前方に六本の剣を張り巡らせる。
やがて、鎖がジャラジャラと音を立てて徐々に内側から押され始める。残り十秒。
鎖に亀裂が走り、巨人の赤い瞳が天を仰ぐ。まるで、今にも卵から抜け出す雛のよう。
そして、残り五秒となったとき。
悲痛な金属音が砕け、両腕を広げた巨人の姿が、空を背景に浮かび上がる。
告げられた一分の経過。そこで、エイムは壊れて消えて――
最悪のグラートは、咆哮と共に動き出した。
「くそ、あの化物、動き出しやがった!」
街の入り口を後にして、目指すは街を絶望に染める黒い巨人。
ラジは悪態づくと、手にした青い結晶を握りしめて駆け抜ける。
本当はもっと早く動ける。だけど、後ろを必死についてくるテリハに合わせようとして、ついその足は速度を緩めてしまう。
「いいからラジ、早く行って!」
テリハもラジが減速しているのは分っているらしく、懇願するように言った。けれど、ラジは首を横に振る。
「これから先、どんな危険があるかわからないだろ! だったら、テリハを守るのは俺しかいないじゃないか」
「だから言ったでしょ! 別にあたしは後から行っても問題ないんだよ!」
テリハだって、普段ならグラートとの戦いに加わろうなどと自発的に言わない。けれど、今回は進んでやってきた。
あの規格外のグラートを倒すための秘策があると。彼女がエイムを手渡してくれたとき、真面目な顔でそう言ったのだ。
「まず言っておくけど、そのエイムじゃあのグラートは倒せない」
きっぱりと、テリハはそう言った。理由は、このエイムを手にした時点で、なんとなく察しがついていた。
「それに、たぶんエレさんでもダメ。武器と対象の大きさが違いすぎて致命傷にならない。ヘリトさんのエイムは見てないけど……ダメだと思う」
「絶望的じゃないか」
長い間武器を作り続けてきたテリハだ。戦闘という点ではからきしダメでも、武器の使い方という点でなら右に出る者はいない。
しかし、テリハに絶望の色はなかった。
「だからこその秘策なんだよ! ラジはそのエイムでやりたいことをやればいだけでいいの、だから先に行って!」
「テリハはどうなんだ?」
「あたしができるのは助言と応援だけだよ。だから、あたしは遅れたって問題ない。ただ、ラジが居ないと被害が増えちゃう!」
「……くっ!」
苦渋の決断を一瞬で終え、ラジは速度を速めた。背後から、再び声がかかる。
「お願い、この秘策でカギになるのは、たぶんヘリトさんだから! 急いで!」
「わかった! それと、お前の秘策を信じて動くぞ! いいんだよな!」
「当たり前でしょ! ラジだって、エイム職人をなめないでよ!」
僅かに不安こそ過ったが、この絶望を変えるには、彼女ほど確信を持った何かが必要な気がした。
テリハの言葉を後押しに、轟音の渦巻く街並みを疾走した。