~1~
視界は閉ざされ、目の前は漆黒のみを映し出していた。
僕は死んでいるのだろうか? ……ありえない話ではないか。あの事故の中、どうやって僕らが生き残るんだ。もう、死因さえはっきりとはしていない。
……僕ら、か……四葉は逃げられているかなぁ……少なくとも、僕よりはマシな状況下にいたんだから、死んでいるのなら僕だけで十分だよ。四葉を巻き込んで死んだなんて、考えたくない。認めたくなんか無かった。
勿論、僕が死ぬのなんて嫌だ。まだまだ高校生。そりゃ、夢だってそれなりには抱いている。不鮮明な未来だけど、それでも死にたいなんて思ってもいない。
だけど……僕はあの時死を予感した。僕の幼馴染である、四葉の事を想っていた。彼女には、死んでほしくないって。
僕らの関係は、それこそただの友だちであって、家も近くずっと一緒の学校に通ったクラスメイトであって、泣き虫だった僕らは……一緒に事あるごとに泣かされた。僕はともかく、四葉は未だに泣き虫で、見るからに弱弱しくて、昔はいっつも妹に――僕も含めて――イジメられていた。
案外、僕らの関係なんてそんな程度なのかもしれない。二人で居る事は何かと多かったけど、それほど特別な関係ではない方だろう。学校ではクラスメイトだけど、校内ではそれほど話しもしない。バスの中とか、二人で出会ったりしたときなら話は別として。
……って、その段階で僕ら、かなり仲が良かったのかもしれない。普通、家に上げるとかって……この年代では、どうだろう? まぁ、適当に話をしているだけだし、僕としても四葉といると、何かと心配になるけど、楽しかった。
だから、あの時の僕らも、延々とバカみたいな話をしていた。それだけで、僕らは笑っていられた。運転手さんとか他のバスの利用者とかのこと、全く考えてなかったのは反省点だったかな。
それだけで、よかった。それが、僕らの中では最高だったのかもしれない。
バスの鉄塊と炎上による業火が見せた地獄の中に、僕らが放りこまれるそのときまでは。
「――――っ……」
光が目蓋を刺激した。それとほぼ同時に、喉の奥から小さな声が飛び出した。
目を開ける。蛍光灯の光と白い壁を、視覚でぼんやりと捉えた。
……僕は、どうやら生きているらしい。ここが天国か地獄なのだとしたら、こんな現実味を帯びた光景を目の当たりにする事は無かっただろう。
――その、直後。
「ぐっ――!」
体中の至る所から悲鳴が上がった。四肢や、腹部。頭部から何まで、どこがどう怪我しているのかはっきりとしない。何かが身体の上から掛けられていて、少ないながらに抵抗になっている。……これは、布団か。
……あぁ、ここは病院だな。よくよく感覚を辿ってみると、今の僕はベッドの上に寝かされているようだった。そして、白いシーツが目に映ると、それは確信へと変わった。左右を見渡してみて、この部屋が白い壁と淡い青色のカーテンに仕切られた、個人部屋であることも分かった。
あと、蛍光灯が灯っているということは……今は夜なのだろうか。……僕は、一体いつまで眠っていたことやら。
だけど……僕は死ななかった。それだけは、確かだった。
体中がなんだか痛いけど、これは……知らせた方がいいんだろうな。僕は腕を伸ばして周囲を探りながら、ナースコールをなんとかして手にしようとする。
――そのとき。ノックの音がした。
これ、面会謝絶とかにはなっていないのかよ……。どれだけの事件だったのかは知らないけど、僕はこの状態なんだ。重症ではないのかもしれないが、ちょっとはそこら辺の考慮をして欲しかった。
……これは、どう対応したら言いのだろうか? 少し頭を働かせようとしたが、無理せず外の人に入ってきてもらい、それからナースコールなり何なりをしてもらうことにした。
扉が開かれる。それに合わせるように、僕は首を音のなる方へと落とした。
そして、すぐに僕らは、目を見張ってしまった。すぐに互いに名前を呼んだ。
「…………四葉」「――――っ! サイ!」
そこに居たのは、大きく目を開いて僕の名前を呼んだ幼馴染、黒花四葉だった。彼女の手には、小さめの花による様々な彩りを持った花束がある。
腰の辺りまで伸ばした、癖の無い長髪。ちょっとだけ幼い印象が残るものの、線が細くて整った顔立ち。――もっとも、普段から少しおどおどした印象を与える彼女の顔は、驚きに染まっていたのだが。
今日は学校へ行かなかったのだろう。彼女の好きな青を基調としたワンピースと白い上着を着ている。肩からは、出かけるときに使っているのであろう、朱色のバッグが掛かっていた。
「サイ、大丈夫だったんだね? よかった……ホントに、よかった……」
四葉は僕の傍まで歩み寄ると、大袈裟にもうっすら涙を浮かべながら、放っておくとこのまま泣き崩れるのではないかと思うほど、震えていた。……おいおい。僕は嘆息して、彼女に語りかける。
「四葉、そりゃ嬉しいけど、ちょっとリアクション大きすぎだよ。それに、泣きすぎもよくないだろ?」
「そうだけど……でも、よかったよ」
それしか言わない彼女に、僕は小さく笑った。あれだけの惨事があったはずなのに、ここにはいつもの僕らの空気が存在した。これで、四葉が泣いてさえいなければ、もっと楽しいと思えるのだろう。
「まぁ、座って……あ、椅子は……どこかある?」
僕は一瞬だけ起き上がろうとしたけど、僕がどういった具合でここに運ばれてきたのか知らないので、今は止めておいた。まだ、全身を痛みが駆けているのだし。
「あ、うん……なんか、ごめんね」
そう言いながら、四葉は傍の白色の棚に立てかけていたパイプ椅子を取り出して、僕の顔が見える位置でそれを展開して。彼女は花束等の荷物を手近な場所に置いてから、やっと腰を下ろした。
それを確認して、僕は現状の把握を始める。
「ところで、これって面会謝絶とかなってない? ナースコールしようとしてたんだけど、四葉が来ちゃったからまずいんじゃないかと思って」
誰かが入ってきて、四葉が注意されたりするのはあまり見たくない。四葉は僕のお見舞いにきてくれただけなのだから、叱られる意味はどこにもないのだから。
彼女は首を横に振った。
「それは大丈夫かな。サイ、あの事故でも骨が折れたりしてないから。ただ、救出されたときに気を失ってて、ついでに傷の手当てのために病院に搬送されただかなんだってさ。……奇跡みたいだね」
「へぇ……そうだね」
一瞬、四葉の雰囲気が暗くなったので、そこは追求しないようにした。なんとなく、聞いてはならない気がしたからだ。これも、一緒に居る時間が長いからこそ気付くものなのだろうか。
でも、それは予想通りだったらしく。彼女は微笑みかけながら、
「うん。……あ、一応、誰か呼んだ方がいいよね?」
「まぁ、そうだろうな。僕らだけ喋ってたら色々とまずい気がするし。何より、僕の状態を知っておきたいから」
「そうだよね。うん。だったら私、誰か呼んで来る」
……ナースコールが手元にあるのになぁ……と伝えたかったが、彼女なりに何かの力になりたいのだろう。「頼むよ」と四葉に言うと、「分かった。待っててね」と返してきた。そして、ちょっとだけ嬉しそうな顔を僕に見せると、すぐに部屋を出て行った。
なんだかんだで、僕らは困った事があったりするといつもこうだな。四葉が困れば僕が手助けして、僕が困れば四葉が必死に手助けする。意外と、僕らは似たもの同士だから。お互いの不足を、どうにかして助けようとしている。だから、僕らは二人で居ることが多いのかもしれない。
だけど……あんな悲しそうな顔、久しく見た事が無いなぁ……と思う。奇跡に変わりない事態なのに、どうしてそんな顔を僕に見せたのだろう。
少しだけ状況が飲み込めないまま、誰かが入ってくるのをぼんやりと待つ事にした。
~2~
「え…………?」
僕は絶句した。その言葉の意味が、すぐには理解できなかったからだ。
まさか……そんな事になっているなんて、思っていなかったから。
「わかんない? なら、証拠品見せてあげるわ」
四葉が誰かを呼びに行くといって、その結果この部屋に来た、ショートカットの髪を持つ若い看護師――律子さんは、ぶっきらぼうに言いながら、どこからか取り出してきた新聞を手渡してきた。僕がその事件に関わったと知っているのだから、これを持ってきたのだろう。その方が、説明しやすい。
僕は新聞を手に取ると、すぐに飛び込んできたその記事を目にして――再び、言葉を失った。思わず息を呑む。
「流石に、それ見たら分かるわね? あの子が本当に喜ぶのも分かるでしょう?」
あの子とは間違いなく四葉のことだ。……確かに、これは……瞳が潤んでしまうのも、納得できる。
律子さんは、やる気なさげに僕を見ると、
「しっかし……やっぱり信じられないわね。どうしてそんな事件で生きてるのよ、あんたたち」
その言葉の意味は、新聞に繋がる。
この新聞は今日の朝刊だが、内容としては昨日の、この事故の事を差していた。
僕の目を落とした先にある、モノクロ写真の中心で炎上し、黒煙を吐き出す機械の塊。それは、僕らが乗っていたはずのバスに他ならなかった。
しかし、それ以上に僕が目を奪われたのは――僕がどんな怪我でここにきていたのか、この人の口から知らされていたからだ。
開いた新聞の、記事の出だしは、こうだ。
『バス横転し、乗用車三台が追突 死傷者十四人』
事故の原因そのものは、バスの操縦ミスでの横転。または、歩行者も三名ほど巻き込まれている事から、そこに何らかの原因があった者と思われている。
火が上がった原因は、倒れた矢先に車が突っ込んで、エンジン部をやられたことが原因らしい。しかし、惨状のせいで詳しい原因は表記されず、それはあくまで推測でしかないようだ。
さらに読み進めてみると、死者はなんと八名。残された六人というのは、僕と四葉、車に乗っていた二人、辛うじて生き延びた歩行者が一名。後は、車同士の衝突や爆発に巻き込まれ、大概の人は死んでしまっていたらしい。あの時、僕らの話に何度か口を挟んできた運転手さんも、死んでいた。
加えて、僕らはバスに乗っていたとは言え、事故の中心に居たのだ。そこに向けて、前後から次々と車が突っ込んできた。普通に考えれば、大惨事どころではないはずだが……。
「でも……僕の怪我、殆ど無いって……」
それが、信じられなかった。
律子さんの話では、僕の怪我はといえば、横転した当初の全身打撲と、割れたガラスに腕を切られ、足を挟んで軽く関節を痛めた程度。痛みが走ったのは、単純に打撲のダメージが持続しているだけだという。
さらに、律子さんは嘆息して続けた。
「あー、あんたも信じられないわけね。当然。……だけど、あの子は殆ど無傷よ。それこそ、ちょっとした打撲程度のね。怪我、とも呼べやしないわ」
「――――っ!」
まさか、あの状況でたったそれだけ……? これは、運がいいとか悪いとか、そういう問題ではない。本当に、奇跡だった。
僕でさえ、下手すれば明日にでも帰宅することが出来る状態だ。それなのに、四葉は……傷が無い。これは、幾らなんでもおかしかった。運がいいとか、そういう言葉で片付けられてしまったのが不可解なくらいに。
「正直な話、あたしはあんたたちが仕組んだんじゃないかって思うくらい、これは出来すぎた話だと思うのよ。……でもま、その様子じゃ違うわね」
その言葉に、僕は少しムッとした。怠けきった表情に、僕は怒りを込めて言ってやる。
「なんでそんなこと訊くんですか」
「あーあー、そんなに怒らなくてもいいでしょ? 別に、あたしが警察だとかじゃないんだし、疑ってた……ように聞えたか。そこは謝っとくわ。ごめんね」
……この人、よくこの職業でいられるな……。人の感情を逆撫でする看護士って、どうなんだろう。
律子さんは、嘆息一つ吐き出しながら、覇気の感じられない声音で僕に言った。
「だけど、そう思われても仕方がない事件なのよ、これは。それくらい、分かるでしょう?」
「……そう、ですね」
僕自身でも、よく生きていたとさえ思ってしまったから。だから、納得がいかない部分があっても、結局は僕が頷いた。
そして、それに合わせるように、四葉の言動が脳裏を過ぎった。……そう思われても、仕方の無い事件。何かが、そうなるように仕組んだように見えてしまう事件。その中で、四葉があのとき、奇妙な行動に出たということ。何かから逃げているような言葉の表現。
……もしかして、四葉は何か…………。
「ま、だいたい教えたり話したりする事は話したわ。あんたのことも、あの子から聞いたから」
というのは、両親のことは既に病院側に伝わっているのだろう。僕がこんなことに巻き込まれても、顔一つ出さない理由。……母さんは、既に他界。父さんは単身赴任ですぐには来ることが出来ない。
唯一、妹の里亜(りあ)は病院を訪れる状況なのに、この場に居ないのだが……それはまぁ、後で四葉に聞けばいいか。あの二人も、何かと情報を交換することが出来るから。
「でもま、生きててよかったわね。……あぁ、あの子外に居るから、呼んであげようか?」
思い出したように言う律子さんに、僕は「はい、お願いします」と返事をする。
「……じゃあ、何かあったら呼んで。……まぁ、それは無いと思うけど」
最期まで、言動にやる気を感じられない人だったが、それでも気遣いとか仕事とかをちゃんとこなす辺りは、注意できないなぁ。表現が難しいけど、嫌なタイプのマイペースな人があれに該当するのだろうか。
それから、律子さんはこの部屋を出ると、数秒後に扉が開いた。
外で待っている、というのは、本当にすぐ近くの事を差していたのだろうか。何一つ待つという概念もなく、四葉は病室に入ってきた。僕は苦笑する。
「……早かったな」
「うん。色々話したいことがあったから、ちょっと気が焦っちゃって」
そんな事をいいながら、四葉は再び傍の椅子に腰掛けた。今は、彼女の表情に違和感のようなものは感じられなかった。
四葉が口を開く。
「えっと……リアには連絡したから、すぐに来ると思うよ」
「あぁ、だから来ていなかったのか」
僕は素直に頷いた。確かに、僕は眠っている状態なのだから、その間にここに来たと言う事も十分にありえる。四葉がここに居るのだから、連絡を取ってもらえるのなら動きやすいのだろう。
四葉はふふっと微笑みながら、
「リア、心配してたよ」
「ま、あいつの心配なんて家事とか、そういう部分だろうけどな」
苦笑いしながら、僕はそう返した。両親が不在の幸月家では、僕と里亜であれこれと家の事をやらないといけない。そうなると、仕事の分担やらが色々とあるから。
「うん、それもあったかもね。でも本当に心配してたんだよ、リア」
「でも、それは本人に会えばわかることだよな」
「ちょっとは信用してよ」
苦笑を浮かべながら、僕らはそんな会話を交わす。空間がほのぼのというか、暖かというか、どこか心地よい気分にさせた。いつもどおりの光景に、僕は心の底から嬉しくなる。
現在、僕らは高校二年生。これほどまでに長い間こうしていられるのだから、このデフォルトの状態が僕にとっては安心できるのかもしれない。
こんな形が、いつまでも続けばいいと思った。これを壊したくなかった。
……だけど。
「――あっ!」
それは、何の前触れも無く壊されてしまう。他の介入が加わるだけで、ガラガラと、音を立てながら。
「…………これは!」
四葉が声をあげてから、僕もすぐにそれを目で追った。それには、僕も見覚えがあった。
彼女の足元に下ろしていたバッグの中から、壁という存在を認識していないかのようにスッと通り抜け、小さな青が飛翔した。
白い空間の中を、あの炎上するバスの中で目撃した青い鳥が、環を描くように跳びまわる。
「あれは……やっぱり、四葉が持ってたんだね」
僕は小鳥の存在に疑問を抱きつつも、できるだけ優しげに言いながら彼女に視線を合わせる。
――しかし、彼女は僕を見て、小さく震えていた。得体の知れない恐怖と対面してしまったように、脅えているように見えた。僕と、上空を飛び回る青い小鳥を交互に見ている。
四葉は両手で自分の腕を抱えながら、僕に言った。
「あれが……あの青い鳥が、見えるの!?」
「――え?」
その言葉の意図が読み取れない。だって、あれは四葉があの事故の中で僕の肩に置いてきたものだ。知っているのは当然だろう。それに、見えるって……どういうことだ。
僕は意味もわからないまま、ただ肯定する。
「いや、見えるけど……どうかした?」
「そんな! ――だって、まさか……うそ……」
彼女の大きな瞳が、小さく揺れているのが見えた。――そして、
「そんなのって……そんなことって…………ごめん。サイ、ごめん。ごめんね! 私のせいで……」
「ど……どうしたんだよ、四葉」
彼女は、泣き出してしまった。両手で目元を抑えながら、何度も「ごめんね、ごめんね」と、嗚咽を零す代わりに、何度も何度も。その行動に、僕はただただ狼狽する。
四葉の泣き虫は、昔とそれほど変わってはいない。彼女は、そんなに強くない。それは僕にも言えることだけど……でも、二人が弱かったから、二人で助け合っている。今も、変わることなく。
僕は出来るだけしっかりとした声音で、四葉の気を取り戻させるように話し掛ける。
「落ち着いて、四葉。……あれ、どういうこと?」
それからしばらく、彼女は無言のままだった。
沈黙が、病室の中に留まる。
だが、何かに動かされたかのように両目を腕で擦りながら、意を決したように僕に伝える。涙の後の、赤い瞳が僕に向けられた。
それが、あまりに唐突で、現実味を帯びていなくても。
「私……このままだと、みんな殺しちゃう。サイも、このままだと死んじゃうよ!」
……思考が、止まった。なんだよそれ。
幾らなんでも、四葉は嘘をついたり現実が見えていないわけではない。そういうのがあまり得意ではないと言う事は、僕もよく知っていた。ユーモアをこの場で持ち出すような事だって、四葉には出来ないはずだった。
少しの、音のない時間が僕らに漂う。……そして、ポツリと、四葉は言葉を零した。
「……パンドラの箱って、知ってる?」
脈絡の無い言葉だった。でも僕は……できる限り、四葉の説明に合わせようと思っている。僕は頷いて、知りえている情報を話した。
「確か、世界中の災厄を箱に詰めたものだったよな。お伽話みたいだけど、そういう伝説があるんだっけ」
思い出しながら、そう話した。
パンドラの箱。ゲームとかでもたまにその単語を目にする。パンドラとかいうのは伝説上の女性の名前だったか。……あとは、知っているのは……。
「えっと……箱の中に、希望が残っていたって奴か」
「うん。そうだよ」
四葉は力なく頷く。……そして、言葉が続けられた。
まるで、現実と空想が混ざってしまったのではないかと思ってしまうような、ありえない話だった。
「私ね、パンドラの箱を……開けちゃったの」
そんな言葉、誰が信じられるというのだろう。
それでも、彼女が嘘をついているようには思えなかった。必死に言葉を搾り出そうとして、ようやく真実を話した。そう捉える方が、今の彼女を説明するにはしっくりきた。
だけど……そんな突拍子の無い話、信じられない。
「いや、でも、それなら世界が終わってるよ。災厄を呼ぶんだろ、それって」
僕が言うと、四葉は首を横に振る。
「違うの。確かにあれはパンドラの箱だけど……全然、違う。
あれは……開けた人以外を不幸にするだけの箱だった。あの鳥は、箱に残った希望なの……。青い鳥は、私に取り付いているから。私だけが、厄を受けないから……」
「四葉……?」
話が断片的すぎる。それだけでの説明では、あまりにも理解に苦しまされてしまう。
首を傾げた僕に、四葉は話した。少しだけ、落ち着いて。僕が分かっていないということが分かったからなのかもしれない。
「……箱を開けたら、呪いみたいに私に不幸が取り付いたの。私の近くに居たら、みんなにそれが伝染して、巻き込んで、殺しちゃう。……それなのに、私だけはあの――青い鳥がいるから。あれが私に付いているから、守っているから、私は死なないの。私だけ、殺されないから」
「まて。だったら、あの時の事故は――」
僕は身を乗り出す勢いで、四葉にその答えを求める。結果は、既に出ているのに。
そして――
「うん。……サイにも、巻き込まれた人たちにも、運転手さんにも、一度に不幸が襲い掛かってきたの。……サイだけ助かったのは、きっと、あの『パンドラの青い鳥』に触れていたから。……だから、私たちだけ、あの中で生きているから……。だけど、あれが見えているって事は、サイにも希望とは逆の物が移っているはずなの……」
四葉の話は、そこで途切れる。知っている、全てを語ったのだろうか。
だけど、僕らが生きている証明は、この段階で十分に成り立ってしまった。
それは、僕らのこの暖かな日常が、音を立てて軋み、崩れていく初動であることに、心のどこかで気付いていた。
――流してほしくないのに、一滴の涙が四葉から流れていた。