手の中に残る硬い感触が、なんだか気持ち悪かった。
今まで、何度も何度も『魔物』に攻撃して、まったく効かなかったのに……たったこれだけのことで、あっさりと倒せてしまって。それが、なんだか不気味だった。
けど、結局は今までの手順、全て間違えていたからこうなったんだって思えば納得できそう。水を分解しようとして、攪拌したり熱してみたりするみたいな感じだよね。電気分解しなきゃどうにもならないって話だから。
「……ふぅ」
ずっと外に投げ出されていたからか、すでに椅子としての機能も果たせず、さび付いてボロボロになっていたパイプ椅子を杖のように立てて、一息つく。けど、まだ安心できないのも確かだった。目の前で、今まで私たちと戦っていた白骨化した犬のような魔物が横たわっているから。
現実的に考えたら、こんなの非科学的で信用なんて出来やしないと思う。そもそも、骨だけで動くってどういう原理? 筋肉とか、自然界の法則とか、そんなの全部無視ししてるじゃん。……そう考えてみると、これ、調べてみると面白いかもしれない。『魔物だから』なんて言葉で片付けるにはもったいないよ。重要なサンプル。すっごい欲しい。
…………そんな場合じゃない。惜しいけど、状況を考えて、私。
「…………」
私は無言で、ピクリとも動かない魔物を見据える。ナガレの話では、私たちが『歩行』した場合魔物も動くらしいから、まだ油断するわけにはいかなかった。生物――という括りではないだろうけど――の中には、死んだふりするような奴もいるくらいだし。
――そうやって、身構えていた直後のことだった。
「――っ!?」
いきなり、目の前で本当の屍骸のように身動き一つ見せなかった魔物の画像が、乱れた。
私たちの『電子化』では、砂嵐のようなものが起こるだけだけど、この場合は本当に、『魔物』という絵そのものが乱れた。まるで、壊れかけたテレビを見ているような感覚。
けれど、それは次の瞬間には『骨』という造形そのものが、まるで風に舞うかのようにパッと四方八方へと散っていった。画像だった欠片たちが、蛍のように淡い光を纏って周囲に消えていく。……あの、ホラーな外見だった魔物が、その一瞬だけはこの世のものとは思えないくらい、綺麗な光景を作り上げていた。
……えっと……。
「……これ、私たちの勝ちってことなのかな?」
ゲームにはこれでもかというほど疎い私にとって、これで終わりなのかどうかよく分からなくて。ゆっくりと、彼に顔を向ける。
そこには、あれだけの『異常』の只中にいたと言うのに、いつものように平然としている……というより、この世の全てに関心を失っているかのような、無表情の顔があった。男子としてはちょっと長めな髪を後ろで纏めて、中学生の頃から掛け始めた眼鏡の奥で、やる気の欠落した瞳が覗いている。……いつもどおりの、『ナガレ』がそこにいた。
そんな彼が、私の顔を見るなり、抑揚も感情も無い言葉を投げかけてくる。
「たぶんな」
……もう少し、喜びの言葉とかないのかなぁ……。……ちょっとだけ、期待していたのに……。
「それで、結局どういうことだったの?」
私たちが最初に魔物を倒してから、少し時間が経過した。
あれから、ちょっとだけいつものようなやり取りを交わしていたんだけど……どうも、コンビニに立ち寄った人からすっごく不思議そうな視線を向けられていた。
……あの戦いの最中だったからすっかり忘却していたけど、あの場所はコンビニの駐車場であって……そりゃ、魔物と戦っていたんだから、車が来ない場所に居たわけだけど……コンビニの前であることに変わりは無くて。
で、魔物を倒したということは、どうやら人の目が普通に戻ってしまうことを意味していたみたい。魔物と戦っているときは認知されないのだから、それも当然のことだと思う。
そして、問題になったのが私の装備。……パイプ椅子を片手に、男子としゃべってるなんてどういう状況? つまり、奇異の目を向けられたのはそういうことだった。
よって、私たちは後片付けを済ませた後、逃げるように帰宅を再開していた。ナガレはなんだかんだでダメージはあるようだけど、特に支障があると言うほどでもなさそうみたい。
「どうして、ナガレは『電子化』が魔物に関係してると思ったの?」
魔物との戦いをマトモに繰り広げることが出来たのは、ナガレが教えてくれたこれが全てだった。けど、どうしてそんな思考に行き当たったのか、私には検討がつかなかったんだ。
「……めんどくさい」
「いいから話して」
キレるかと思った。……でも、今回ばっかりはナガレが全ての功労者だったから、そういうわけのもいかなくて……。……明日あたり、ナガレの昼食が大変なことになっているかもしれない。
ナガレはしばしボーっと、何かを考える風にしてから、軽い嘆息を吐き出した。そして、いつもと変わらない感情的とはほどとおい説明を始める。
「『魔物』と『電子化』の共通点」
「……え?」
いきなり切り出された説明に、なんて答えていいのかわからなかった。
「本当は、もっと早く気付いておくべきだったんだけど……まぁ、いいや。学校を出るとき、僕がまだ『電子化』の状態だったのは知ってるよな」
「そりゃね」
あの時は焦ったもん。ナガレが「あ」なんて、今更のように気付いて、それを私と蒼くんが大慌てで「戻せ」とか「電子化を解いて」とか言って、周りに気を配って……幸い、あの時は帰宅部も部活メンバーも居ない、微妙な時間だったから助かったけど……。
「でも、それがどうしたの?」
あのときのことは、私たちの中で『気付かれなくて良かった』という認識で終わっていたはずだもん。それこそ、廊下をガスバーナー持って歩いていたら、すれ違いざまに「なにあれ!?」ってことになるだろうけど、片手にマジックのあとがついたりした程度だったら、特に意識しないだろうって。
……けれど、ナガレは首を振った。
「あれは、魔物と同じだったんだ。『認知』されていなかった」
「…………え?」
確かに、声音はいつものように淡々としたものだったけど……それは、確信をもったものに思えた。……『ナガレ』が、冗談なんて言うはず無いから。そんなこと口にするような人じゃ、ないって知っている。
だからこそ、余計に分からなくなった。頭を強く打ったかのように、考えることが難しくなって……ただただ、解答を求めようとしている。
「じゃあ……だったら、それってどういうこと?」
「ちょっと考えたら簡単にわかる」
それから、ナガレは一息ついて。
「僕は、『電子化』を発動してから、学校を出るまでずっと継続していた。
……それって、パソコン室で『電子化』を陽鞠にも見られてたって事じゃないのか?」
「――あっ!」
瞬間、私の中で全ての疑問が吹き飛んだ。霧が裂かれたかのように、物事が明確に判断できてくる。……同時に、どうしてそんなことに気付かなかったんだろうって、思う。
それが分かったら、あとは簡単だった。私の考えが合っているのかどうかを、確認の意味を込めて口に出してみる。
「そっか……あのとき、ヒマリちゃんは私たちがうるさかったからって追い出したんだよね……だったら、話の内容がつかめてなかったとしても、私たちが何をやっているかくらい、見てるだろうから……」
「ついでに言うなら、画面を確認されているだろうからな。そのとき、僕の手を見ないってことは無いだろ」
そうじゃなくても、ヒマリちゃんならそういうところをチェックしていそうだし……。まぁ、見ていなかったで片付けられるかもしれないけど、それでも、可能性は高かったんだ。廊下ですれ違う、なんて状態より、ずっと見つかる可能性が高い。
……だから、ナガレは「もっと早く気付けた」なんて言ったんだ……それに、なにより。
「なんで気付けなかったんだろ、私たち……」
それが悔しくって、思わず手を強く握って、ギュッと拳を固めた。
情けないよ、私……そういうことに、真っ先に気付けなきゃいけないのって私じゃないの? 実験だってそうだよ。実際に起こったことを見て、考えて、検討するから理解できるのに……そういうの、一番慣れてる私が……うぅ、すっごく、情けない。
「まぁ、終わったことだけどな」
そんな、私の情けなくって、どうしようもなく怒り出したい私の心境なんて知らないとばかりに、そっけなくナガレは言った。本当に、彼にとってはそれだけで済ませることが出来るような内容だったんだろうけど……。
「なんだかごめんね、今日は……」
落ち込みそうな気持ちの中で、私はポツリと、零した。
「……なにが?」
「なにがって……今日はナガレ、ずっと私の……私たちの、役にたってたのに……」
「どうでもいいよ、そんなこと」
――っ!
……また、だ。この言葉を耳にするたびに、私は、心が締め付けられそうになる。もう、聴きたくないのに、こんなの……。
どうしてそんなこと、言うの……? なんでいっつもナガレは、そんなに……どうでもいいとか、興味ないとか、そんなことばっかり……。
もっと、現実を見てよ。……それじゃ、逃げてるみたいだよ?
「……ごめんね」
……何がごめん、なんだろう。自分で心の中で復唱してみて、分からなくなる。
「……なにか言ったか?」
「……いや、なんでもない」
そんなことない。心の底から、ごめんなさいと謝りたい。それとおんなじくらい、『ナーくん』を怒ってやりたい。けど、それがどんどんわからなくなってくる。
私は、あの戦いの真っ最中に、彼に怒気を飛ばした。襟を掴んで、どうしてあんなことしたのかって、熱くてどうしようもない感情に任せて、怒った。……でも、『ナガレ』はいつものように、自分に対しても興味を失っているようだった。あんな状態でも、彼は『ナガレ』だった。
それがショックで、遠ざけるように一歩下がってしまって……それから、魔物が突っ込んできたのは分かった。自分でも、よけれると思っていた。
……それでも、彼が……動いた。私を、守ろうとしてくれた。
…………なんでかな。
あのとき、私の前には『ナーくん』が居た。
それから、もうわけが分からなくなっていたんだと思う。整っていた気持ちが、嵐でも起こったようにぐちゃぐちゃになって、完全に混乱していた。あとは、言われるままに動いている自分が居た。
「あ、これがわかったんだったら、蒼くんにも教えないといけないよね」
気持ちを変える。今までの、思いつめた暗い気持ちを入れ替えて、明るく振舞ってみる。いつもの、『柴之沙李』に戻ってみせる。それでも、『ナガレ』は変わらず対応してくるって分かっていても。
「僕はさっさと帰る」
「……いや、電話でもいいじゃん。ていうか、それくらいなら私がやっておくよ?」
「そうだな。僕はゲームに徹するし、伝えるのは沙李のほうが上手いからな」
「あ、これが分かったんだったらさ、他にも考えれそうじゃない? 明日、検討してみようよ!」
「パス」
「三枚にバラすよ! または開き!」
「……すでに科学者のやることじゃないな……」
「あ、化学っぽいことでいいんだ。だったらホルマリン」
「……はぁ」
そんな、いつものような会話を交わしながら私たちは帰路を辿っていく。
……でも、最後まで私は、それを伝えることが出来なかった。『ナガレ』だから、伝えたくなかったというのもあるんだろうけど……。
私は、伝えたい。『ナーくん』に、ごめんなさいって謝って、どうしてかばったのって、怒ってやりたい。
……それが出来ないから、私はいつものように『ナガレ』と会話することにした。