それは、変わらない日常だった。
つい最近では、これが当たり前になってきている。……それが、どんなに辛くても。これが、今の私にとっての、日常だから。
一ヶ月前……私、幸月里亜の友だちであって、幼馴染という存在だった人、黒花四葉を喪う前は、もっと違った日常を過ごしていたはずなのに。外見上の違いではなくて、内面で。心の問題で。
勿論、今だって楽しいと思える。あの事件は高校生になって数週間の内に起こってしまったとはいえ、時の流れは残酷だ。それからの一ヶ月は、悲劇とは裏腹にクラス内での友人関係を深めてしまった。だから、楽しく過ごせている。そう、自覚できる。
それでも……学校では楽しくても、今までの生活とは違ってしまっていた。
「じゃね、りーちゃん」
県立守戯(すぎ)高等学校の校門前で、友人の落雪瑠子(らくゆき るこ)が満面笑みで大きく手を振っている。身丈に合わない制服の袖から、リストバンドをつけた腕が見え隠れしている。中学生くらいに思われてしまいそうな身長と後ろで結わえた長髪も、手の動きに合わせて左右に大きく揺れていた。ホント、表情や容姿と相俟って、小学生が目の前にいるんじゃないかと思ってしまいそう。
だけど、空を埋め尽くすような雨雲の下、暗い景色の中でも瑠子は、存在そのものが太陽ではないのかと思うほど、明るい。童顔で幼く見えるためか、そこには無邪気だと思わせる何かがあるみたいだ。
それなりに友達がいるほうだと思う私でも、特に瑠子は存在感が強い。こんな時期でも校則を無視して常時冬服着用してたりとか、そんなぶっ飛んだ意味じゃなくて。
いい意味でも悪い意味でも、瑠子は自由奔放で元気の塊みたいな存在だ。唯一、テストの直前とかになると極端なほどぐったりするくらいか。四葉とは比較にならないなぁ、彼女。根本的に、何かが違っているようだし。
「うん、また明日」
私はそれに、いつものように微笑みながら返した。右手をひらひらと揺らす。
そうやって、この学校での日常はまた幕を下ろしていく。ただ楽しいだけの日々が、そこにはあった。……それが、閉じていく。
そして、これからは……。
私はバス停を目指しながら、手に下げていた鞄を漁り、それを手にした。
なんの変哲もない、私の青いケータイ。光の閉ざされた空のせいで、その青色はいつもよりも暗い影に染まっている。
そのケータイを操作して時間を確認すると、私はそろそろいいだろうと考えて、アドレスを呼び出そうとする。――そのとき。
「あ……雨?」
ポツリと、ディスプレイに小さな水滴が落ちた。……最悪。雨なんて天気、ただただ迷惑なだけだ。
折り畳み傘を探し出そうとしたけれど、近くにコンビニがあったから、ひとまずそこへ歩みを向けた。まだ雨足は強くないけれど、濡れるのは勘弁だから。
「お前もそう思うよね?」
一人苦笑しながら、私の肩で羽を休めている、それに語りかけた。ちなみに、すでに周囲に人が居ない事は確認済み。誰だって、見えない相手に話し掛けているのを目撃すれば、確実に白い目で見るだろうから。
……そう、こいつは、誰にも見えないんだ。
兄さんが残してくれた、『パンドラの青い鳥』は。
こいつとは一ヶ月の付き合いになるけど、相変わらずよくわからない。どれだけ調べてみても私にしかその姿を認識できないみたいだし、神出鬼没だし。……それでも、いつだって私の傍にいるし。
でも、これは……兄さんが残した、大切な手がかりなんだ。この空の下でも、鮮やかさを損なう事のない綺麗な空色の羽を纏う鳥。そして、私を守ってくれているらしい、小さな鳥。……兄さんの言葉では、こいつが、私を守ってくれるという話。全く確信無いんだけどね。
――そう思っていた矢先のことだった。
手の中で、着信音が放たれる。……いけない、連絡が遅れたみたい。
私はコンビニの中に入瑠子となく、入り口付近で足を止めた。けれどすぐにこの場を離れられるように鞄の中から折り畳み傘を取り出して、通話ボタンを押し込んだ。
そして、相手に向かって話し掛ける。
「もしもし、須山さん。なにかわかりましたか?」
話し掛けると、電話の向こうから落ち着いた、けれど少しだけ疲れた声音が返ってくる。
『いや、相変わらずだよ。……悪いね、里亜ちゃん、一週間もたったのに、毎日こんな調子で……』
トーンの低い、大人っぽい男の人の声。通話相手は、一週間前から兄――幸月裁を探す協力をしてくれている、兄さんの友人、須山来歩さんだ。
須山さんと出会ったのは、捜索を始めることになった前日だったか。あの事件があった日、私たちは病院に運ばれたという偶然にしては出来すぎた関係性があった。同時に、私たちの目的は完全に一致している。
あの事件の翌日、突然行方を眩ませた最低な兄さんを見つけるという、共通の目的。四葉だけでなく、兄さんという大切な人間が欠けてしまった日々を否定したいから。
その先に、どんな絶望があったとしても……いや、そんなこと考えたくない。失踪の謎も、事件の背景も、まだ、私たちは掴む事ができていないのだから。喜ぶ事も、嘆く事も、全てはそれが終わってからで十分だ。
そう……これは全て、日常を取り戻したいという思いから始まったのだから。それを手にするまでは……。