青空色の光に包まれた。それは……パンドラがもたらした色だと、すぐに理解できた。
だって……彼女は、この色が好きなんだから。
目に映る景色が、ただ一色に塗りつぶされる。けれど、それは決して悪い色じゃなかった。透き通った、誰もが目を引かれる色。
まるで、私が青空の中心に居るかのような感覚。鳥はいつも、こんな景色の中に居るのかな、なんて思ってしまうほどだ。
――その、青空の世界の中で。
私の前に、見知らぬ少女が居た。
軽くウエーブの掛かった金髪という異国の少女。私よりも幼げな容姿をしているけれど、誰よりも優しげな微笑を浮かべている。
そして、彼女の背中には天使を想起させる大きな翼を纏っていた。でも、その色は白なんかじゃない。
風景と同化しているかのような、透明ではないのかと思うほど、鮮やかな青空色の羽。彼女が、それを望んでいたから。大好きだった色を、手にすることができたんだってわかった。
「パンドラ……」
少女――パンドラの名を呼ぶと、彼女は全てを許容するかのような笑みを見せながら、たった一言私に伝えた。
――ありがとう。
たった、それだけの言葉だった。
「こっちが、ありがとうだよ」
肩を竦める。……なるほど、これは四葉と似ているなんて思われて仕方がないな。
空の光景が消えていく。青が元の病室という景色を映し出してくる。
そして……彼女の姿もまた、消えていく。
「ありがとう、パンドラ。……さようなら」
彼女がそうしてくれたように、私も消え行くパンドラに微笑んで見せた。きっと、パンドラとは比べ物にならないほど、普通の笑顔だったんだろう。けれど、そうだとしても、彼女にはこういう顔をしてあげたかった。
ずっと、一人でがんばってきたんだから。それなのに、最後まで私たちの身勝手に振り回されなきゃならない。……だから、全然足りないけれど、私なりの謝罪とお礼をパンドラに捧げた。
青空色が、私たちの前からなくなった。
~1~
元の風景が目の前に広がっていた。
病院の個室。その一室で、兄さんと四葉がいる。そして、私が呆然としている二人を見ている。
けど――その変化に、すぐ気がついた。
掌の上から、一羽の青い鳥が消えていた。……やっぱり、消えちゃったんだね。
私は手を下げると、時が止まった二人に向かって話しかけた。
「終わったよ、二人とも」
声が聞えて、弾かれたように動き始める兄さんと四葉。どうやら、何がなんだかわかっていないらしい。
そんな中で、兄さんよりは状況を把握できている四葉が、周囲をきょろきょろ見回しながら訪ねてくる。
「え? えっと……終わったの?」
「たぶんね。まぁ、そうは言っても私には理解できないわけだし。後は、そのときになってみないとどうとも言えないと思うよ」
実際、こんなこと前例なんて無いわけだ。こうなると、もう結果がどうなるか天に任せるしかないだろう。
「……パンドラは?」
やっぱり、四葉は彼女を捜していたらしい。私はちょっと考えるようにして……いくつかの考えを提示する。
「さぁ? でも、パンドラが私たちの考えを聞いて逃げ出した、なんてことは無いだろうし……そうなると、四葉の傍にいるのは確かなんだけど……まだ、よく分からないかな。でも、姿を見せないところを見ると……」
そう言って、四葉に向かって指を差しながら。
「例えば、四葉の中に居る、とか?」
「私の……中に?」
「あと、それこそ本当に空そのものになった、とも考えられるかな。でも、四葉の傍に居るのは確かだと思うよ」
そうしなければ、パンドラは『不幸』が起こる事を止められないわけだし。でも、空そのものになる、というのはさすがに難しい(もし出来るなら、最初から空になっていそうだ。それが出来なかったから、鳥の姿をしていたのかもしれない)ことを考えると、パンドラは四葉の中に居るんじゃないかな?
人間相手でこれは無理だろうけど、今の四葉もパンドラも、結局は『願い』みたいな、あやふやな存在なんだから。物は違っても、根底は似たようなものなのだろうし。
「じゃあ……えっと、その……もう、『不幸』って起こらないのかなぁ?」
不安そうな四葉に、私は苦笑して答えた。
「それこそ、四葉次第よ。そうならないようにがんばって。私の近くにパンドラが居なくなったから、四葉に助けてもらわないといよいよ私も危ないわけだし。でも、兄さんに『不幸』を与えるより、よっぽど楽でしょ?」
「…………うん」
四葉も、罪悪感の中でそうしていたんだろう。戸惑ったようで、けど、しっかりと頷いた。
「ねぇ、里亜……いい加減、僕にも話を教えて欲しいんだけど……」
「……あ」
すっかり私たちだけで話が進んでいたせいで、兄さんのことを忘れていた。……事件の当事者なのに、すっかり蚊帳の外だったからなぁ……。
「ええと……どこから話せばいいんだろ……」
思考してみるけれど、そもそも、兄さんってどの範囲での話を知っているのかイマイチはっきりしない。少なくとも、『ドッペルゲンガー』を恨んでいたあたり、まだ彼女をパンドラと知って居なかったり、そもそもパンドラを分かっていないのかもしれないし……。
……じゃあ、もう、いいや。
「四葉」
「え? なに、リア?」
私との話は終わっていたと思い込んでいたらしく、虚を突かれたかのような反応をする四葉。それに……私は、これでもかというほど意地悪な笑顔を浮かべた。
「四葉、ずっと兄さんの近くにいたんだよね?」
「えっと……そうだけど?」
「じゃあ、あとの説明とか、いろいろよろしく」
「うん……って、え?」
キョトンとした表情を浮かべる四葉。それに、悪乗りする私。
「いや、私が説明するより、四葉の方が説明しやすそうだし。だって……兄さんが失踪してからも、ずっと傍にいたんだよね?」
「えと……そう、だけど……」
「ということは、兄さんの今までの経緯とか、プライベートなこととか、いろいろ知ってるわけで」
「え!? いや、確かに一緒に居たけど、そこまでは……」
これでもかというほど焦り、必死で訴えようとしている涙目の四葉。事情がまるで飲み込めていないのに、ある意味で一番の被害者となっている兄さん。それを思いっきり楽しんでいる私。……あぁ、なんか懐かしいな、こういうの。
まぁ、四葉のことだから、死なないように見守っていた程度なんだろうけど。さすがに彼女でも、人の私生活に土足で踏み入ることはないだろうし。
……と、いうことを熟知している上で。
「そういうわけで四葉、私が知らなかったところも含めて、兄さんに説明よろしく」
「だ、だから! そういうのじゃないよぉ!」
「……えっと、四葉……これって、どういうこと?」
「あうぅ……そ、その……えっと……」
兄さんに誤解されているかもしれないけど、それを説明するためには事件の背景を語る必要があるし……説明が下手な四葉が、どこまで奮闘できることやら。すでに顔、真っ赤だし。
そして、私はこれ以上巻き込まれないようにするため、早急に部屋を出ようとする。
……その、部屋を出ようとする間際。二人に言っておいた。
「じゃあ、あとは二人でごゆっくり」
「――っ! こ、こんなことで、ゆっくりしたくないよぉ……」
そろそろ、赤面した四葉が私を殺しに来るかもしれない。下手すれば、事態が全く飲み込めていない兄さんも敵に回す可能性もある。
そうなってしまう前に、私はさっさとドアノブに手を掛け――
「……ん?」
ふと、視界に不自然な隙間があることに気がついた。
……なぜか、扉が少し開いていた。
~2~
裁の病室がある廊下の突き当たりで、俺とパンドラは何をするでもなく突っ立っていた。
正確に言えば、里亜ちゃんが全てを終わらせたと同時に、パンドラがその場を離れていったので俺が付いていっただけの話なのだが。
俺の目の前には、非常階段に通じるガラス製の扉があった。そこから見える夜空を、俺たちは自然と見上げる形になっている。
「……パンドラは……四葉の中に入った」
ポツリと、思い返すように彼女は呟いた。
「もし、里亜の案のとおりなら、確かに、今はまだ『不幸』は起こらない。でも、それだけだ……わたしが居る限り、『不幸』は無くならない」
「そうかもしれないね」
彼女の独白に、俺は頷いた。
「でも……少なくとも、今は大丈夫。それに……黒花さんが居てくれる限り、『不幸』は無くならなくても、起こらない。それで十分だと思うけどねぇ、俺は」
「……じゃあ、わたしはどうなる? 不幸そのもののわたしは……どうすればいいんだよ」
確かに、それが彼女にとっての存在意義だからねぇ……。良くも悪くも、今までは『不幸』をどうにかしたかったから、ここに居た。自分自身を嫌悪しているのに、どうにもならなかったから。
あれから聞いた話では、彼女が『不幸』を黒花さんに譲渡した理由は、一度に多大な死者を出さないための、苦渋の決断だったらしい。
そもそも、パンドラの能力は『不幸の吸収』であって、蓄えた力が溢れた結果、人々に災厄をもたらしていた。だから、実はパンドラは生前も今も『不幸』を扱うのは苦手らしい。もっとも、ナイフのように形作るのは、吸収という性質上、得意らしいのだが。
だから、パンドラが『不幸』を使うと、加減を知らず全てを壊しかねない。そのため、黒花さんに渡して、『青い鳥』の力で徐々に消費したかった。『不幸を振りまく』という認識が黒花さんにあったため、力の暴発が起こらなかったそうだ。
黒花さんの死は予想外だったらしいけど、裁を生かすための力の行使は、パンドラの中で新たな発見となったらしい。
もう一つ。『パンドラの箱』についてだけど……あれは、生前のパンドラが置かれていた状況に起因するようだ。暗闇の、出口の無い箱の中に居た。そのイメージを強くするための、箱と黒。それを想起させたから、多くの『不幸』を譲渡できる感情が湧いたそうだ。『不幸』が暗闇色をしているのも、そのせいらしい。
それだけ多くの事をして、嫌いな『不幸』として存在していた。望まない悲劇をその手で起し続けてきた。でも、今はそうする必要も無く……。
「わたしは……これから、どうしたらいいんだよ」
裁と同じだ。彼女は、これ以上死ねないから。ただただ、虚無な時間を過ごさなければならない。
そして、昔の俺とも同じだ。これから訪れる彼女の世界が、真っ暗なんだ。先がまるで見えなくて、不安で仕方がないんだ。……『不幸』という道しるべを、失ったから。
……俺は嘆息した。
「パンドラ……さっきも言ったけど、君は『人間』でいいんだよ」
「…………そうだとしても、根底は変わらないだろ」
「そうだね。そのせいで、苦しんでるんだからね。……じゃあ、そうだね……」
俺は少しだけ考えて、それから、ある提案をした。
「君が人間だったら……今までの罪を、どうにかした方がいいよ」
「え……?」
突然のことだったらしく、彼女らしくないキョトンとした顔を見せた。
俺は口の端を小さく上げながら、彼女に話してやる。
「確かに、事件の背景は酷くて、仕方が無かったけど……でも、そのせいで傷ついた人もいるからね。特に、裁とか」
裁は、この事件での最も酷い被害者だろう。もちろん、中には死者が出たりしているのだけれど……こればかりは、どうにもならない。……だけど、裁は違う。彼はまだ、生き長らえている。
「俺からはなんともいえないけど……もし裁きがあるとすれば、謝ることだと思うね。人間である以上、何もせずに終わることは出来ないから。現実に向き合う必要も、きっとあるんだ」
抜け殻だった俺だって、何事も無く終わるということは無かった。それどころか、今も『来歩』として人生を続けている。……何事もない、なんてありえない。生きている限り、存在している限り、何かが起こるんだ。
けれど、その目標も、永遠ともいえる命を持つパンドラには限界があるだろう。だから、もっと先になる未来も、彼女には必要なんだ。
「で、もしその罪滅ぼしが終わったら……そうだねぇ」
完全な思いつきだけど、でも、こういうのでいいんじゃないかと思う。
「里亜ちゃんがせっかくみんなを助けたんだから、みんなで居ればいいんじゃないのかな」
無理にとは言わない。でも、誰かと居るというのは、悪くないと思う。ずっと独りよりは……少なくとも、昔の俺のようになるよりは、ずっといい。
「確かに里亜ちゃんや裁と居るのは、すぐには無理だと思うけど……俺は、パンドラを拒んだりしないからさ。俺でよければ、いつでも近くに来てくれていいよ」
俺の体験と重ねるようだけれど。先の見えない暗闇の中に居た俺がこうしていられるのは、裁から日常をもらったからだ。きっと、パンドラもそうすることで、存在理由を得られるんじゃないだろうか。
「…………」
パンドラは、すぐに返事をくれなかった。何かを考えるようにして……何をどう答えればいいのかと、考え込んでいるかのように。
今までと違う、認められるという状況に馴染めないのかもしれない。
今まで、黒花さん以外から、ずっと忌み嫌われていたから。
途方も無く感じられる時間が経過していた。
パンドラはずっと声を出さなくて、目を伏せてしまっていた。きっと、返事を必死で模索しているんだろう。
彼女がそうしているのだから、俺も、返事を待ってあげる。促すことも無く、答えが出るまで、ずっと。
そこで……不意に、声が生まれた。
――夜空がもたらす静寂の下で、消え入るような声が落ちた。
「ごめんなさい……」
か弱い声だった。
これのどこが災厄なのかと思うほど、小さくて、触れただけで壊れてしまいそうな声。
その声の持ち主は、俺に向き合ってくれながら……最初こそ、俺を見る事が出来ずにうつむいていたけれど。
彼女が、顔を上げた。
瞳から涙をボロボロと零しながら、懸命に俺と向き合ってくれた。
「ごめんなさい……今まで、ずっと……ごめんなさい……。……刺して、傷つけて……さっきも、わたしを止めるために、血を流して……本当に、ごめんなさい……」
ずっと溜め込んでいた罪悪感の全てを曝け出すように、パンドラは謝ってくれる。元々優しい女の子だから、こんなに罪を背負い込むなんてこと、本来あっちゃいけないはずなんだろう。
「こんなことで許されなくても……でも、わたし、こんなことしか……考えられない…………ごめんなさいしか、わからないよ……わからない…………」
今まで、ロクに謝るなんてこと、しなかっただろうに……こういうときは、無理して俺の顔、見なくてもいいんだよ。ゆっくりでも、下を向いててもいい。涙を拭いながらでも構わないのに。
「……ごめんなさい……来歩……。……こんなことしか言えなくて…………ごめん……なさい。酷いことをしてきたのに…………なんで、こんなことしかできないんだよ……。…………っく…………こんなんじゃ、全然……ダメなのに…………」
……向き合ってくれたパンドラは、ギュッと両手を強く握ったまま、赤くなった瞳を擦ろうともせず、必死で謝ってくれる。きっと、彼女は今、『ごめんなさい』に変わる言葉を頑張って探しているんだろう。
…………でも、俺は……こんなに悲痛な泣き顔を、見たくなかった。
出来ることなら、『ごめんなさい』以上の言葉を教えてあげたい。けれど、パンドラはそれだけで救われないだろうから。言葉で表現するだけで、積み重ねてきた罪悪感は振り払えないだろうから。
だから……俺は、パンドラに近づいて、気付かれないくらいゆっくりと両腕を彼女に回して。
そして……そっと、抱きしめた。泣いている顔なんて見えないように近くで、怯えさせないように優しく。
思っていたより、ずっと小さな肩だった。けど、彼女に触れた温もりは確かにあるんだ。……これのどこが、『不幸』なんだろう。ただの、小さくて弱い少女じゃないか。
延々と胸の中で「ごめんなさい」と呟き、泣き続ける。怯えているかのように、小柄な少女は微かに震えていた。
……それが、あまりにも切なくて。
俺はささやく程の声音で、パンドラに伝えた。
「ありがとう。……もう、十分だよ」
そっと、パンドラの頭を撫でてやる。
こんなこと人生で一度もやったことがないけれど、少しでも安心してくれたらそれでいいと思ったから。
けれど、不吉をもたらすはずの少女は、泣き止んでくれなかった。
……だったら、今はこのままの方がいいのかな。
彼女の傍に居てあげよう。気持ちが落ち着くまで、背負った罪を晴らしてくれるまで。
自分でも慣れないことをしたなと思う。けど、こうすることで彼女が救えるなら、それでいいのだろう。
~3~
「まったく、須山さん……」
屋上を繋ぐ扉の前で、私は壁に背を預けながら苦笑した。
部屋の扉が開いていて、「あぁ、須山さんが来たんだな」とは思っていたけど……まさか、パンドラと一緒に居るとは思っていなかった。挙句、なんだか口出しさえ出来そうに無い雰囲気だったし……。
「……おかげで、話し掛けることもできなかった」
明日あたり、パンドラと二人で居た事をネタにしてやろうか。須山さん、何気に恋愛云々に慣れていないみたいだったから、結構狼狽しそうだ。ついでに、パンドラにも同じ事を聞いてみようか。
って…………なんだかなぁ。
「私、いつからこんなに性格悪くなったっけ?」
こういうこと、兄さんと四葉以外にやろうなんてまず考えなかったはずなんだけどなぁ……。からかって、それでも笑っていられる相手なんて、この二人くらいなもんだったし。
……ああ、そうか。この騒動でいろいろあったから。その反動が、須山さんたちにも向けられてるんだ。
「ホント、いろいろあったからなぁ……」
できることなら、あんまり思い出したくないけどね。
兄さんの失踪から始まって、須山さんと協力するようになって、事件の背景を知って、瑠子の過去も、みんなの大切さも知って、パンドラの置かれている境遇を知って……そして、私たちが全て終わらせた。
始まりは、それこそ本当に、いつもの日々に戻りたいってだけだったはずなのに、いつの間にかこんなに事態が大きくなってた。
でも……全部が悪いわけじゃないか。私たちがこうしていなかったら、近い将来、パンドラはまた苦痛を味わう事になるだろうから。そういう意味では、よかったんだろう。
「……あ、そういえば私、まだ二人に謝れてないや」
問題を片付けてからでもいいから、私が兄さんと四葉を引き離してしまったことを謝ろうとしていたのに。いつもみたいに四葉を困らせるようなことしてないで、さっさと謝罪しようよ、私……。
……まぁ、それはまた、今度でもいいかな。
急いで嫌な事を終わらせる意味も、あまりないし。……ゆっくりでもいいから、時間をかけてでも、ちゃんとやればいいか。
そう……そうなんだ。
今日、やっと、全て終わったんだ。
まだ問題はあるかもしれないけど、悲劇はもう、起きないと思う。
だから…………。
……もう、いつもの日々に戻っていいのかな……?
いつもみたいに、瑠子たちと駄弁ったり、兄さんと四葉をからかったり……それだけでいい日常に、戻っていいのかな……?
…………もう、終わったんだ。こんな悪夢から逃れられたんだ。
今までのせいで、イマイチ実感できないけど……もう、『不幸』なんて考えなくて、いいんだ。
………………。
……それは、嬉しいんだけどなぁ……。
「まったく……」
溜息をついて、壁に寄りかかったまま座り込む。
こうやって解決して、なんだかんだで逃げるように一人になって……。
「変わらないな、私だけ……」
みんなには、強そうに振舞って。でも、内面は自分でも驚くほど弱いのに。
また強がって、一人でこんなところに居る。
「まったく……変わってないな」
これが私だから。そうやって、言い聞かせてみる。
……だけど……もう、限界だった。
「こういうときくらい……もっと弱さ見せてもいいんだろうけどね」
膝を抱え込んで、真っ暗な天井を見上げた。
屋上を繋ぐ扉についているガラスから、夜空の景色が注がれている。
そんな場所で、一人、誰にも聞かれないように……呟いて。
「素直じゃないな……私……」
誰にも、こんな姿見られたくなかった。
前に、兄さんに泣きついてしまったときから……二度と、こんなことしたくないと思っていた。
だから……強がって、一人でここに居る。こういうときくらい、誰かに頼っていいと思うのに。それでも……また、こうしている。
ただただ嬉しくて、けど、泣いてるところなんて、誰にも見られたくなかったから。
「あぁ………………うぁぁ……っ…………」
泣くことが悪いなんて思ってない。ただ、それが自分らしくないと思っているだけだ。
だから……感涙を止めようなんて思わなかった。止め処なく溢れる涙を、延々と、零し続けてた。
綺麗な空だけが、ずっと、泣きじゃくる私を見守ってくれていた。